2012年12月31日月曜日

シカゴ / シカゴの軌跡


Chicago Transit Authority(1969年リリース)
①Introduction ②Does Anybody Really Know What Time It Is ③Beginnings ④Questions 67 and 68 ⑤Listen ⑥Poem 58 ⑦Free Form Guitar ⑧South California Purples ⑨I'm a Man ⑩Prologue, August 29, 1968 ⑪Someday(August 29, 1968) ⑫Liberation

80年代を中学生、高校生で過ごした俺みたいな者にとって、シカゴといえば「素直になれなくて(Hard To Say I'm Sorry)」や「君こそすべて(You're The Inspiration)」などのメロウなラヴソングをヒットさせたバンドというイメージが強い。70年代後半からの彼らはセールス的にも低迷していて、1981年に出た『グレイテスト・ヒッツ・Vol.2』は全米アルバムチャート171位が最高位だというのだから、その翳り具合が伺えるというものだ。だから「素直になれなくて」が全米No.1になった時にはやたらと「シカゴ復活」と言われていたのを覚えている。同曲が入った『シカゴ16』はリアルタイムで聴いてかなり好きなアルバムだった。確かに「素直~」や「ラヴ・ミー・トゥモロウ」などのバラード風な曲を目当てで聴いていたけど、ホーンセクションが入った「フォロー・ミー」という曲が好きで、後にそのホーンセクションを多用しているのが彼らの本来の持ち味で、AORなバラードバンドではないということを知った。何かのロック本などで「ブラス・ロック」という言葉で紹介されていたのだ。

シカゴは1967年に結成され、当初はビッグ・シングというバンド名を名乗っていた。当初からロックンロールとホーン・セクションの融合を目指していて、多くのカバー曲をライヴで展開していたらしい。レコード契約の際にバンド名をシカゴ・トランジット・オーソリティとしてリリースしたのがこのデビュー・アルバムだ。新人バンドにも関わらず、アナログLP2枚組でリリースというのは異例のことだと思う。プロデューサーのジェームス・ガルシオがすでにホーンを取り入れて成功していたブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのプロデュースも行っていたからだろうか?

そうは言っても、シカゴを結成したのはギターの故テリー・キャスで、確かにホーンは派手に入っているものの、それと同じぐらい彼のギターが活躍しまくっている。内容も政治的なものが多いらしく、残念ながら俺は歌詞を読んだことがないので内容には言及できないが、雰囲気的に⑩以降はそんな感じがする。⑥はテリーのギター・ソロが多く、ジミ・ヘンドリックスが彼のプレイに痺れたというのも頷ける。そして⑦、このフィードバック多用のギター・ソロは、今でいうならソニック・ユースのサーストン・ムーアが出すようなノイズ・ソロのような趣がある。80年代からの彼らのイメージを持って聴くとまったく別のバンドだと思いたくなる。そしてベスト盤でも必ず収録される②や④など、早くも代表曲が生まれているところも見逃せない。

シカゴ・トランジット・オーソリティはその名の通りシカゴ交通局から訴えられて、2ndアルバム以降はバンド名を単純にシカゴにして、ヒットを連発していく。ちなみにこのアルバムはアナログ時代は2枚組だったわけだが、続く『シカゴと23の誓い』、そして3rdアルバムとなる『シカゴⅢ』もアナログでは2枚組というボリューム。さらに言うなら4作目のライヴ盤『アット・カーネギー・ホール』にいたっては4枚組という、そのころの創作力の凄まじさに今でも俺は驚いてしまう。その反動なのか、段々とポップになっていき、テリー・キャスを失ったバンドは落ち目になっていったのかなと思ってしまう。(h)

【イチオシの曲】Does Anybody Really Know What Time It Is
「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」という邦題が昔から凄いよなと思っていた。歌詞を読むと特に小難しいことは言ってないようだけど、まあ今風に言うならヘラヘラしてないで現実を直視しろよってことなのかな。

2012年12月23日日曜日

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ / The Red Hot Chili Peppers


The Red Hot Chili Peppers(1984年リリース)
①True Men Don't Kill Coyotes ②Baby Appeal ③Buckle Down ④Get Up And Jump ⑤Why Don't You Love Me ⑥Green Heaven ⑦Mommy Where's Daddy ⑧Out In L.A. ⑨Police Helicopter ⑩You Always Sing ⑪Grand Pappy Du Plenty

今ではスタジアム級のロック・バンドとなっているレッチリだが、多くの人はこのアルバムを後追いで聴いているものと思う。俺もそうだ。彼らがこのデビュー・アルバムをリリースしたのは1984年のこと。当時俺は高校1年生で、日ごろ聴いていたものは当時のヒット曲ばかりだった。この年に大ヒットしたアルバムといえばプリンスの『パープル・レイン』、ヴァン・ヘイレン『1984』、イエス『ロンリー・ハート(90125)』、U2『焔』、過去にここでも取り上げたスタイル・カウンシル『カフェ・ブリュ』やフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド『プレジャードーム』などがあった。これらのヒット・アルバムは日本でも雑誌などで紹介され、「ベスト・ヒット・USA」でPVなども見た。これらメインストリームの音楽を聴いていたのだから、日本盤もでなければ新人のミュージシャンであった彼らのアルバムの存在など知る由もなかったってことだ。

レッチリのオリジナル・メンバーはアンソニー・キーディス(Vo)、フリー(Bass)、ヒレル・スロヴァク(g)、そしてジャック・アイアンズ(dr)の4人であった。1983年にはEMIと契約を交わすが、その時点でヒレルとジャックの2人は他のバンドにヘルプで参加しており、そのバンドが他のレコード会社と先に契約していたため、EMIとの契約が出来なかった。そんな経緯からこのアルバムにはギターとドラムに別のミュージシャンを入れて録音している。ちなみにヒレルは2ndアルバムから、そしてジャックは3rdアルバムから参加し、3枚目の『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』が唯一のオリジナル・メンバーによる録音となった(この後ヒレルがオーヴァードーズで死亡するため、オリジナル・メンバーで残したアルバムは1枚のみということ)。さて、このアルバムだが、プロデュースはギャング・オブ・フォーのアンディ・ギル。アンソニーだかフリーだか忘れてしまったが、影響を受けたバンドにギャング・オブ・フォーがあったため、初のアルバムをリスペクトする人にプロデュースしてもらったはずではあったが、2人が考えていた音と、アンディの「聴きやすい音」という作りに乖離があり、2人にとっては不満の残るものとなってしまったようだ。エコーの使い方などは80年代ぽくて、そこに古さが垣間見えてしまうのがなんとも残念。

しかし楽曲自体は悪くないと思う。オリジナル・メンバー4人の共作という⑧は後々までライヴで披露されているし、元々はフリーのベースとアンソニーのラップの相性がよかったことがきっかけで始まったバンドであり、アンソニーのラップは早くもデビュー・アルバムで存分に聴くことができる。しかしこのアルバムで最も活躍しているのはフリーで、何気に聴いていてもついベースに耳がいってしまうぐらい目立っている。ちなみにベース経験の無かったフリーにプレイを教え込んだのはヒレル・スロヴァクだったそうだ。しかしそうは言っても、1984年というとラップはメインストリームではまだ市民権を得ていない。ましてや白人がロックに取り入れるなんてのはマイナーな存在だった。ビースティ・ボーイズがブレイクしたのが1987年だったことを考えると、あまりにも「早すぎる」アルバムだったわけだ。

参考までに、1986年に刊行された「世界自主制作レコードカタログ」という本が手元にあるのだが、ここに記載されたこのアルバムについての紹介文を見ても、アンディ・ギルのプロデュースにしてはオーソドックスな演奏で音がオフ・マイクで輪郭がぼやけていると書かれている。アナログの時代からそういう感じだったようだ。蛇足だが「LA出身の変態4人組」と書かれていて、ハチャメチャぶりもすでに伝わっていたようだ。

1988年にレッチリは『アビー・ロード・EP』をリリースしていて、あのアビー・ロードをほぼ全裸で渡っているジャケットは輸入盤屋でも目にすることが多くなって、名前が徐々に浸透していったのを覚えている。しかし俺は1989年の『母乳』で初めて彼らの曲を聴いたのだけど、ファンキーでロックな音にラップが乗った独特のノリがいまいちついていけなかった。その当時は「ミクスチャー・ロック」というジャンルで、ジェーンズ・アディスクションやフィッシュボーンなどと有名になっていった。そして1991年の『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』で世界的にブレイクしてからはもはや説明するまでもないだろう。(h)

【イチオシの曲】True Men Don't Kill Coyotes
本来ならオリジナル・メンバーによる"Out In L.A."を持ってくるべきかもしれないが、ここは記念すべきアルバムの1曲目を推したい。フリーのスラップ・ベースのイントロからアンソニーのラップに導かれるこの曲ではPVもあるらしい。「本当の男はコヨーテを殺さない」というのはどういうことかよく分からないけど、アンソニーの男根主義的な思想なのかなと勝手に想像している。

2012年12月16日日曜日

ソニック・ユース / Sonic Youth


Sonic Youth(1982年リリース)
①The Burning Spear ②I Dreamed I Dream ③She Is Not Alone ④I Don't Want To Push It ⑤The Good And The Bad
以下CD追加曲 ⑥Hard Work ⑦Where The Red Fern Grows ⑧The Burning Spear ⑨Cosmopolitan Girl ⑩Loud And Soft ⑪Destroyer ⑫She Is Not Alone ⑬Where The Red Fern Grows

「いちばん好きなバンド」と聞かれれば俺は大抵ソニック・ユースと答えてきた。1988年にインディー時代の大傑作『デイドリーム・ネイション』を訳もわからず買って聴いて以来、常にリアルタイムで聴いてきた数少ないバンドだからだ。1990年にはメジャーレーベルのゲフィン・レコードへ移籍し、それを機に俺も彼らのレコードを集めるようになったのだけど、このデビュー・アルバムを聴くことができたのは再発された2006年になってからだった。聴き始めのころには何度かレコード屋でこのアルバムを手に取っているが、その時には買わなかったのだ。そのために聴けるようになったのが10年以上も待つことになるとは・・・。

ソニック・ユースは1981年にサーストン・ムーアとキム・ゴードンによってに結成された。これは何でも同年の6月にニューヨークで行われたポスト・ノー・ウェイヴ系のアーチストたちによるイベント「Noise Fest」に出演するための即席バンドらしく、同じイベントに別のバンドで出演していたリー・ラナルドが加入していなかったら果たしてグループはその後も存続していたのか謎である。このイベントの音源を聴いてみると曲としての体裁はあまりなく、即興的なノイズパフォーマンスに終始しているが、7月ぐらいからは徐々に固定の曲が出来ていたようで、このアルバムは12月に録音をしている。そして当時のポスト・ノー・ウェイヴの中心的な存在でもあったグレン・ブランカの興したNeutral というレーベルからリリースされたのがこの"Sonic Youth"だ。このアルバムは後に彼らが所属するSSTレコードから再発されたり、イギリスでの配給先であるBlast First からも再リリースされたことがある。俺が店頭で見たのはきっとそのどちらかのレーベルからのものだっただろう。その時には買わずに後に中古盤で見かけたときは9800円という値段がついていた・・・。

2006年になってようやくゲフィンから再発された際には、1981年9月のライヴ音源がボーナストラックとして追加された。それはすなわちこのアルバムを録音するよりも前の時期のライヴであって、このアルバムに至る行程も垣間見える。まず⑥は④のプロトタイプで、⑦は②のインストゥルメンタル・バージョンとなっている。⑩は⑤の後半部分だし、しかもこれらのライヴは断片的にかつて彼らがカセットからリリースした"Sonic Death"に収録されているものと同じだった。これらのライヴ音源も踏まえつつこのアルバムを聴くと、すでに軸となる音が出来上がっていて、それは後年も変わっていないというのがよく分かる。ただ、彼らの特徴でもある変則チューニングがこのアルバムからは感じられない気がするのだがどうなんだろう?俺はあまり楽器のことになると分からなくてなんとも言えないが。だから2枚目の"Confusion is Sex"を初めて聴いた時の難解な感じが、このアルバムからは感じられずむしろ聴きやすい。しかしどうせならボーナストラックとしてこのアルバムのカセットテープ盤のB面に入っていた①から⑤までの曲を逆転再生したトラックを入れて欲しかった。曲名まで"raepS gninruB ehT"みたいな表記だったみたい(もちろん文字も逆)。

ところでソニック・ユースのディスコグラフィを作ろうと思うと、これほど手間のかかるバンドはいないのではないだろうかと思う。オフィシャル・ブートレグを数多くリリースし、当時のインディー・レーベルのコンピレーションに曲を提供したり、それをレーベルからリリースしたり、個人でリリースしたりと、80年代の彼らはかなり好きにやってきたと思う。ゲフィン・レコードに移籍してからもその自由を得ることができたがそれまでほど活発ではなく、せいぜいSYRシリーズぐらい。だが、そういう自由なやり方があるということを教えてくれたのがソニック・ユースであり、多くのミュージシャンにも影響を与えているのは間違いない。サーストンとキムの夫婦が離婚してしまったことで今はバンドとしての活動が止まってしまったが、それでも解散などと宣言しないで、かつてのように変なレコードを量産してほしいと思ってしまう。(h)

【イチオシの曲】I Dreamed I Dream
まるでテレヴィジョンの"The Dream's Dream"へのオマージュのようなタイトルだが、もともとインストゥルメンタルだった曲に歌詞というよりは言葉をのっけただけのこの曲は初期の中でもかなりクオリティが高いと思う。ゲフィン・レコードからインディ時代のアルバムのベスト盤が出た時に、まだCD化されていなかったこのアルバムから唯一収録されたことからもその評価が窺がえる。

2012年12月9日日曜日

ザ・ブーム / ア・ピースタイム・ブーム


THE BOOM / A PEACETIME BOOM(1989年リリース)
①CHICKEN CHILD ②SUPER STRONG GIRL ③都市バス ④きっと愛してる ⑤星のラブレター ⑥君はTVっ子 ⑦おりこうさん ⑧不思議なパワー ⑨雨の日風の日 ⑩ないないないの国 ⑪虹が出たなら

自分自身がなぜこれほど音楽が好きになったのかはよくわからない。ただひとつだけ言えることは、音楽好きになったお陰でこれまで様々な出会いがあったし、今ここにどうしようもない文章を書いている。ところで、ついさっきまで俺の成長過程において家族からの音楽的影響は全くないと思っていた。だがしかし今回この文章を書くにあたりよくよく考えてみると、このザ・ブームは二児の母になった今も福山雅治のファンでコンサートにも通う姉から教えてもらったことを再認識した。この場をお借りして姉に謝辞を述べさせていただきたい。ありがとう。でも、この感謝の言葉は決して本人に伝わることはないだろうし、直接伝えるつもりもないから気にしないで。

俺が中学生の頃に姉がカースレテオで流してたテープに入っていた②や⑥は、そこで歌われる歌詞こそ意味不明だったが、そのリズムとキャッチーなメロディでイッパツで好きになった。当時は既に3rdアルバム『JAPANESKA』が発売されていて、姉に借りた1stから3rd、ミニアルバム『D.E.M.O.』の4枚のCDをテープにダビングし繰り返し聴いた。2ndアルバム『サイレンのおひさま』収録の「なし」や、3rdアルバム収録の「過食症の君と拒食症の僕」あたりのコミックバンド的というか、ラブソングを歪曲した表現の歌詞がまだウブな俺にはたまらなく新鮮で刺激的だった。非リアの俺からすればチャートに入るような曲にハメ込まれた「愛」だの「恋」だのいう歌詞には全く共感することができず、疎外感しかなかったからだ。それでも「愛」や「恋」のことをストレートに歌っている④や⑤、⑪の歌詞は抵抗なく入ってきた。あばたもえくぼってヤツか。全然違うか。

矢野顕子とコラボするなど順調にステップアップしていったザ・ブーム。3rdアルバムでワールドミュージックというか沖縄的な表現を取り入れるようになり、4thアルバム『思春期』収録の「島唄」で大ブレイクする。しかし俺の好きなザ・ブームの要素は、俺がイメージする「ホコ天」や「軽音楽部」的なスカっぽいリズムと軽やかなギターによるサウンド、そしてそのどうしようもない歌詞だった。③や⑦の歌詞も、理解できそうで理解できない加減がツボにはまった。これらの要素がいい塩梅に詰め込まれていたのがこの1stアルバム『ア・ピースタイム・ブーム』およびそれに続く2ndアルバム『サイレンのおひさま』だった。

ザ・ブームは「島唄」のヒットのお陰で紅白歌合戦出場を果たすまでになるが、一般的には「一発屋」で終わってしまったように思う。一方、俺はといえばちょっと説教臭い歌詞が耳につくようになり、俺の光岡ディオンを奪ったことが決定打となってザ・ブームを聴くことはなくなった。それと前後して、よりどうしようもないことを歌っているメタルに走ることになる。そもそも英語をヒアリングできない時点でメタルに限定されないが。

俺は今でも初期の作品を聴くことはあるが、冒頭に紹介した姉どうだろうか。俺の記憶が確かなら姉は当時、男闘呼組の大ファンで部屋は前田耕陽のポスターだらけだった。なぜ姉がザ・ブームを聴いていたのか未だによくわからない、という謎を残しこの文章を締めさせていただく。この疑問は決して本人に伝わることはないだろうし、直接伝えるつもりもないから気にしないで。(k)

※この文章には一部誇張が含まれています。
※Amazon.co.jpで探したんですが、廃盤のようです。
Wikipediaによると2005年には紙ジャケ&リマスターで再発されているようです。

2012年12月2日日曜日

キング・クリムゾン / クリムゾン・キングの宮殿


King Crimson / In The Court Of The Crimson King(1969年リリース)
①21st Century Schizoid Man including Mirrors ②I Talk To The Wind ③Epitaph including March For No Reason and Tomorrow And Tomorrow ④Moonchild including The Dream and The Illusion ⑤The Court of the Crimson King including The Return Of The Fire Witch and The Dance Of The Puppets

今から10年以上前、たぶん90年代終わりごろだったと思うが、俺は個人サイトを持っていて、今と変わらずアルバムレビューのようなものを書いていた。その中でこの『クリムゾン・キングの宮殿』については「埋葬計画」という冗談的な内容を書いたことがある。なぜそんな文章かというと、90年代に復活していたにも関わらず、キング・クリムゾンというと枕詞のように『宮殿』アルバムが出てくることに少々ウンザリしていたからだ。あとはプログレファンへのちょっとした皮肉というか、そんなのも含めてだったと記憶している。

いわゆる「プログレ」と呼ばれる音楽については高校生の時にすでにイエスの『こわれもの』や『危機』、エマーソン・レイク&パーマーの『タルカス』などを愛聴していたが、キング・クリムゾンはFM番組から録音した①や⑤を知っているだけで、『宮殿』を実際に聴いたのは20歳を超えてからだった。なぜクリムゾンを聴くのがこんなに遅かったのかというと、FM番組などで録音した他の曲(③や第5期の"The Night Watch"や"Book Of Saturday")が今ひとつ俺の琴線に触れなかったからだ。それはともかく『宮殿』であるが、やはり曲単体とアルバムで聴くのでは大きく印象が異なった。①の凶暴的なヴォーカルとフリージャズのような間奏によるスピード感、間髪入れずに続く②ではフルートの音色に導かれて癒される。そして壮大すぎる③でアナログのA面が終わる。そしてB面の④ではヴォーカルパートが終わった後の10分ぐらいの静寂の中のインプロヴィゼーションが一種の試練かもしれない。そして再び壮大な⑤でアルバムは終了。静と動が見事に織り交ざっていて圧倒的で、こんなアルバムはそれまでに聴いたことがなかった。ただ、俺は正直に言うと、③とか④にはいまいちのめり込めないけど、1stアルバムでこれなんだから、やはり末代まで語られても仕方がない。その後はメンバー・チェンジを繰り返し、『太陽と戦慄』までは試行錯誤を感じるからね。

ところで、今もしこのアルバムを買うのであれば俺だったら迷うことなく輸入盤にする。いや、普段から輸入盤のほうが買うのはおおいけど、『宮殿』アルバムは特に。なぜなら①を「21世紀のスキッツォイド・マン」なんて中途半端な邦題で表記されている日本盤なんかを買うのであれば原題のままでいい。①は誰がなんて言おうと「21世紀の精神異常者」というタイトルが秀逸だろう。精神異常者という言葉が不適切だからスキッツォイド・マンにしたのだろうけど、カタカナにすればいいってもんじゃないだろうが。これほどアルバム・ジャケットのインパクトや邦題が与えるイメージがジャストなアルバムはなかったと思っていたのに、それを水で薄められたようなそんな気分になる。先の「埋葬計画」という文章で、俺は「どうせなら①のタイトルはそのままカタカナにしちゃえばいい、そうすればマヌケな感じでみんな聴く気がなくなるだろう」なんて書いてみたのだけど、まさかその10年後ぐらいに本当にそうなっちゃうとは、いやな世の中になったものだ。

『宮殿』は、ビートルズの『アビー・ロード』を首位の座から引き摺り下ろしたとよく言われているが、これは誤認識であって、実際は『レッド・ツェッペリンⅡ』である。それにしてもそんな素晴らしいアルバムたちがチャートを賑わしていたのかと思うと、1969年という年のロックがいろいろな面で変わりつつあるというのを思い知らされる。ビートルズは解散寸前で、クリムゾンとかツェッペリンとかだし、ローリング・ストーンズも自分たちのルーツを見つめなおしてブルースへ回帰していったことで70年代へ突入していったし、他にも数多の新しいグループやミュージシャンが出てきている。そんな中においても『クリムゾン・キングの宮殿』は一際異彩を放っているし、今聴いてもそれは変わらないと思う。そして俺たち日本人にとっては「邦題」も時には重要で、このアルバムはその最たる例だとも思っている。だから「21世紀のスキッツォイド・マン」なんてどこかのゆるキャラみたいな呼び方をするのは俺は好かないのである。

冒頭に書いた「埋葬計画」だが、その文章をどうやって締めたのかというと、途中はなんて書いたかもう忘れてしまったが、『宮殿』を葬ったほうがいい理由をいくつか挙げてた後にこう記した。
「さて、じゃあ聴き納めとして『宮殿』を通して聴いておくか」
~45分後~
「だ、だめだ・・・やっぱり、、、、、良い。このアルバムを葬ることなんて俺にはできない・・・(泣)」

そう、結局埋葬計画は失敗に終わったとさ。(h)

【イチオシの曲】The Court of The Crimson King
俺が「プログレ」と言うときに真っ先に挙げたいと思う曲がこれ。イントロからメロトロンを派手に鳴らし、まるでオーケストラが演奏しているかのような壮大な始まり方、そしてグレッグ・レイクの朗々とした歌声、静と動の融合、ラストはメロトロンの電源が突然切れて力尽きたような終わり方。俺は「21世紀の精神異常者」よりもこっちを断然推す。

2012年11月25日日曜日

クィーン / 戦慄の王女


Queen(1973年リリース)
①Keep Yourself Alive ②Doing All Right ③Great King Rat ④My Fairy King ⑤Liar ⑥The Night Comes Down ⑦Modern Times Rock'n'Roll ⑧Son And Daughter ⑨Jesus ⑩Seven Seas Of Rhye...

俺がいわゆる「洋楽」というものを聴き始めた中学生の時からクィーンは常に好きなバンドの1つであった。だけど今ではかなり偏ったファンであると思っている。フレディ・マーキュリー亡き後も多くのファンを獲得し定期的に様々な編集盤がリリースされているが、それらの類に対しては俺は否定的で、ベスト盤についてはバンドが存在していた時にリリースされた『グレイテスト・ヒッツ』と『グレイテスト・ヒッツ2』こそが真のベスト盤だと思っている。特に『グレイテスト・ヒッツ』は彼らのデビューから1982年までの、それこそ今でも聴き継がれている曲ばかりが入った最強のアルバムで、これ以上の選曲は出来ないんじゃないかと思うほどの内容だ。彼らのいちばんの代表曲である「ボヘミアン・ラプソディ」を1曲目に持ってきてもなお、その後の10数曲のクオリティが下がることがないのだから。

しかしその『グレイテスト・ヒッツ』に収録されている曲目を見ると、1stアルバムからの曲が選ばれていないのだ。⑩が入っているじゃんと思う人もいるかもしれないが、これは1分ちょっとのインストゥルメンタルであって、実際は2枚目のアルバムのフルバージョンが選ばれている。そのため俺にとっては長らく1stアルバムの曲をまったく知らずに10年以上を過ごしてきてしまったという経緯がある。20歳を超えてから徐々にクィーンのアルバムを揃え始め、その時にようやくこの『戦慄の王女』を聴いたのだがそれまでの10年ぐらいで『グレイテスト・ヒッツ』で慣れ親しんだ曲が入った他のアルバムにばかり夢中になり、このアルバムについてはまだ影の薄い存在のままだった。

クィーンの魅力はよく言われるように、ハードロックとオペラやクラシックなどを組み合わせた独特の音楽性がその1つであるが、それは主にフレディ・マーキュリーが持っていたセンスが前面に出てきた3枚目か4枚目のアルバムあたりからのことを指していると思っている。それまでの彼らはどちらかというとハードロック・バンドとしてデビューしていて、その当時はレッド・ツェッペリンと比較されるほどだったと読んだことがある。ただやはり『グレイテスト・ヒッツ』を愛聴してきた俺にはそれがピンとこなくて、それが原因で1stアルバムもなかなか馴染めなかった。ところが90年代に『At The Beeb ~女王凱旋』というBBCライヴを収録したアルバムでハードロック・バンドとしてのクィーンの魅力がようやく分かってきたのだ。そのアルバムには1stアルバムから7曲が入っているのだが、スタジオ録音ではこじんまりしているように聴こえていた楽曲が、BBCライヴでは水を得た魚のようにハードロックしている様が記録されている。特に⑧にはぶっ飛んだものだ。

こんなことを書くとまるで1stアルバムの出来が悪いように思われてしまいそうだが、それは俺の聴き方が足りないだけなので勘違いしないで欲しい。①は長いことライヴの定番となっていたし、②のようなレイドバックした曲は彼らにしては珍しいが70年代前半ならではという感じだ。また③や⑤の展開などは早くもフレディの個性がよく出ていて、そしてやはり⑧は初期の彼らならではのヘヴィさが特徴的だ。そして全体的にブライアン・メイのギターの多重録音によるオーケストレーションが施されていて、1stアルバムからすでにハードロックの域を超えた独自のアレンジを聴く事ができる。後の彼らの定番曲のような劇的な展開まではいかないが、これはこれで聴いておくべきアルバムであることは間違いない。

冒頭で『グレイテスト・ヒッツ』を真のベストアルバムと書いたが、俺は本当はこれはオリジナル・アルバムと言ってもいいんじゃないかと思っているぐらいだ。それだけに『戦慄の王女』から1曲もチョイスされていないのが何とも残念だ。それにしても俺はどっちのアルバムのことを書きたかったんだという気もするが・・・。(h)

【イチオシの曲】Son And Daughter
ハードロック・バンドとしてのクィーンとして挙げるべき曲。アルバムでは3分台で簡潔に終わるが、これがライヴになると後の「ブライトン・ロック」のブライアンの通称「津軽じょんがら節」ギターがインプロビゼーションとして追加されているがこれがまた最強すぎる。

2012年11月18日日曜日

リリー・アレン / オーライ・スティル


Lily Allen / Alright, Still(2006年リリース)
①Smile ②Knock 'Em Out ③LDN ④Everything's Just Wonderful ⑤Not Big ⑥Friday Night ⑦Shame For You ⑧Littlest Things ⑨Take What You Take ⑩Friend Of Mine ⑪Alfie

俺は時々「おねーちゃんヴォーカル」のポップ・ミュージックが聴きたくなる。決してロックではなく。前にパティ・スミスのところで書いたけど、俺は女性ミュージシャンにロックなんてものは求めていない。デビューこそ女性ロッカー然として登場しても、時が経つにつれて結局は「女」である自分を売りにしているなんて人を見ると、最初からポップ・ミュージックでもやっとけよとか思ってしまう。それに「ロックだぜ」みたいなアティチュードの女性ミュージシャンは、ごめん、本当に個人的な思いだけで書かせてもらうけど、見ていて「痛い」と思ってしまう。芸能界でいうなら土屋×××みたいのとか。だから俺は最初からポップである人を好んで聴いている。

さて、リリー・アレンである。どこでどう知ったのか忘れてしまったが、俺が彼女を知ったのは2枚目のアルバム『イッツ・ノット・ミー、イッツ・ユー』に収録されている「ファック・ユー」という曲がきっかけだ。可愛らしいメロディと声で「ふぁっきゅー、ふぁっきゅべりべりまぁぁぁぁぁっち♪」と歌っているのが妙に耳に残って、その声とタイトルのギャップにこいつはただ者じゃないなと感じたのだ。案の定調べてみるとかなりの毒舌で話題を振りまいていたし、かのケイティ・ペリーに「私はリリー・アレンの痩せたバージョン」と言われてブチ切れてたり、20代前半のクソ生意気なところが面白い。その一方で、彼女の父親はザ・クラッシュの故ジョー・ストラマーと友人で、子供の頃には一緒にグラストンベリーに連れて行ってもらったりしながら、音楽的な影響を受けてきたという。母親だか叔母がスリッツのメンバーだったなんて話もデビュー時にはあったけど、どうやらこれは違うらしい。

そんなわけで最初は2枚目のアルバムを聴いていたんだけど、人から「1枚目のほうが良い」と言われて手に入れたのがこの『オーライ・スティル』。リリースされてからすでに3年が経っていたから完全なる後追いなんだけど、確かにこっちのほうが曲が粒ぞろいだった。やはり白眉なのは①で、タイトルの「スマイル」という単語が持つ優しさや温かいイメージはそこには無い。何せ歌っている内容は付き合っていた男にフラれて落ち込むも、その元彼が他の女と別れて泣いているのを見ると「笑っちまう」というものなのだから相当意地が悪い。他にも⑤や⑦は付き合った男をモチーフとしているような内容だったり、②はナンパしてきた奴を追い払う方法を歌っていたりと、まあ20代前半の女の子が言いそうなことを、奇麗事にしないでストレートに言い放っているというところが良い。曲はレゲエやスカのリズムを取り入れたものや、ラウンジ系なものなどが多くて聴きやすいところもまたいい。それにしてもイギリスのポップ・シンガーって必ずレゲエ調の曲があるよね、特に女子!なぜだ!?

で、2枚目のアルバムを出した後、彼女は音楽から引退するとか言い出して、流産や結婚、出産といったニュースで時々名前を見るぐらいになってしまったんだよ。ところが今年、結婚後の名前であるリリー・ローズ・クーパーという名義で音楽活動を再開するなんてニュースが出てきて、来年には3枚目となるアルバムがリリースされる予定らしい。1児の母親となった彼女が以前のように尖がった内容の歌を歌うとは考えられないんだよなぁ。でも例え作風が変わってもそれほどガッカリしないだろうってところがポップ・ミュージックであるがゆえなんだろうな。ご都合主義。(h)

【イチオシの曲】Everything's Just Wonderful
もちろん"Smile"や"他の曲も良いんだけど、アルバムをいちばん最初に聴いて印象に残ったのがこの曲だった。サビの部分はどこかで聴いたようなメロディで、もしかして引用かなとも思うんだけど、いまだに思い出せない。だけどそんなことはどうでもいい、良い曲だから。


2012年11月11日日曜日

ガンズ・アンド・ローゼズ / アペタイト・フォー・ディストラクション


Guns N' Roses / Appetite for Destruction(1987年リリース)
①Welcome To The Jungle ②It's So Easy ③Nightrain ④Out Ta Get Me ⑤Mr. Brownstone ⑥Paradise City ⑦My Michelle ⑧Think About You ⑨Sweet Child O' Mine ⑩You're Crazy ⑪Anything Goes ⑫Rocket Queen

1991年。それはCDのレンタル禁止期間が1年となった年らしい。記憶があやふやで時期が定かではないが、それと前後してレンタルビデオ屋の店頭には「洋楽CD解禁」みたいなポスターが貼られていたのを思い出す。その頃、その店頭で俺が初めて手に取った洋楽CDがガンズ・アンド・ローゼズの『ユーズ・ユア・イリュージョンⅠ』であった。残念ながら、なぜ俺がその作品をレンタルしようという結論に達したのかは思い出せずにいる。借りてきた『ユーズ~』を、買ったばかりのビクターのミニコンポMEZZO(イメージ・キャラクターに高岡早紀を起用)で再生する。ダフのベースに始まり、スラッシュのギターが絡んだ後のアクセルの金切り声を一聴し、雷が落ちたような衝撃を受けるようなこともなく。74分のメタルテープ(TYPE IV)にダビングし、買ったばかりのウォークマンを身に着け、片道50分の通学路で自転車を漕ぎながらひたすら繰り返し聴いた。これが俺とガンズ・アンド・ローゼズ、ひいてはハードロックとの出会いだった。

1991年といえば、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』、マイ・ブラッディ・バレンタインの『ラヴレス』、ティーンエイジ・ファンクラブの『バンドワゴネスク』、メタリカの『メタリカ』(通称ブラックアルバム)といったロックの傑作がリリースされ、これ以外にも枚挙に暇がない。俺がこれらのアルバムを聴くのはもう少し後のことだが、『ユーズ~』および『ユーズ・ユア・イリュージョンⅡ』はほぼリアルタイムで聴いていたことになる。そして、この文章の主題であるガンズ・アンド・ローゼズの1stアルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』がリリースされたのはそれより遡ること4年ほど前。完全に後追いだった。

友人が「リップルレーザーのような」と形容したスラッシュのギターで始まる①は、2002年のサマーソニックでも1曲目に演奏された。残念なことにそれを奏でていたのはスラッシュではくバケットヘッドという変人だったが、それはそれで甚く興奮した。「悦子の母乳だッ!」を生で聴けて幸せだった。そうそう、このアルバムのスゴいところのひとつは、テレビ朝日の番組「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」で採用されたネタの宝庫なのだ。②の「足を刺されりゃそりゃ痛てえっす♪」、③の「あっ、何ですか?」、「タマキン蹴ったっ!」、⑤の「兄貴の位牌♪ヤクザ!」などの作品が生み出された。また、ネタとしてだけでなく、高性能なハードロックのアルバムとしても大変素晴らしい。このアルバムは、現在でもライヴで演奏される多くの代表曲を収録し、①、②、③、⑥、⑨がシングルカットされるなど、1stにして完成されてしまった感すらある。特に⑨は、そのリフが現在でも高く評価されている。差し替えられた現在のジャケットも、このバンドのマスターピースとしてふさわしい出来だと思う。そこに描かれたメンバーは代わってしまってはいるけれども。

ガンズ・アンド・ローゼズは、所謂ヘアメタルと揶揄される多くのバンドの延長線上に居ることに間違いはないが、ハードロックやヘヴィメタルという型に収めるには抵抗がある。上手く言葉にできないが、一つだけ例を挙げさせてもらえば、日本の音楽誌BURRN!とロッキング・オンの両方の表紙を飾ったことがあるアーティストはガンズ・アンド・ローゼズくらいではないだろうか。

デビューから90年代前半までのガンズ・アンド・ローゼズは、ロックスター然とした退廃的な私生活や、音楽そのものがハードロックという範疇から外れる事はなかった。しかし、アルバム2枚同時リリースや、ボブ・ディランからミスフィッツまで多くのカバー曲を発表するなど、その挑戦的な態度は産業ロックからは一線を引く存在ではあった。その一方、セックス・ドラッグ・ロックンロールを地で行くメンバー同士が、バンド内で平穏な関係を維持するのは困難だと想像に難くない。実際、短い期間にメンバーチェンジを繰り返し、現在はアクセル・ローズのソロプロジェクト状態である。バンドは完全に機能不全に陥り、『ユーズ~』に続くオリジナル・アルバム『チャイニーズ・デモクラシー』をリリースするのに17年もの時間を要したが、過去のようなヒット作にはならなかった。スラッシュも音楽活動を継続してはいるが、ライヴではガンズ・アンド・ローゼズの曲を演奏するなど、過去の遺産に頼っている部分はある。

90年代初頭には、グランジ/オルタナティヴのムーブメントに飲み込まれ、化石の烙印すら押された感のあるガンズ・アンド・ローゼズ。94年にはカート・コバーンの死でそのムーブメントも一区切りがついた。それから20年近く経った現在でも、アクセルをはじめとするメンバー達は今も不良なオッサンとして活躍している。「消え去るより、燃え尽きた方がいい」なんてことはなく、懐メロになろうがカッコ悪かろうが生きてる方がいいと、俺は思う。(k)

2012年11月4日日曜日

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ


The Velvet Underground & Nico(1967年リリース)
①Sunday Morning ②I'm Waiting For The Man ③Femme Fatale ④Venus In Furs ⑤Run Run Run ⑥All Tomorrow's Parties ⑦Heroin ⑧There She Goes Again ⑨I'll Be Your Mirror ⑩The Black Angel's Death Song ⑪European Son

今や歴史的名盤としてその名を残すこのアルバム。俺は高校生ぐらいの時に「ロック名盤」なる本に載っていたのを読んで初めて知ったのだけど、そこでどういうことが書かれていたかあまり覚えていない。覚えていることといえば、リリースされた当時はまったく売れなかったということと、もうひとつはジャケットのバナナのシールが「剥がせる」ということだった。俺はその「剥がせる」ということに興味を持った、中の音楽よりも先に。確か19歳ぐらいの時だったと思う。その頃は古いロックのLPはもっぱら輸入盤に頼ることが多く、輸入盤を見てもジャケットのバナナは印刷さているもので剥がせそうになかった。しかし、池袋のパルコに入っていた銀座山野楽器で、日本盤のLPを見つけたのだ。もちろんバナナの部分はシールになっていた。迷わず買ったのは言うまでもない。

先にも書いたがリリースされた1967年当時はまったく売れず、ビルボードのアルバムチャートでも170位台が最高だったという『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』。それが45年経った今でも聴き継がれて世界中に大きな影響を与えているという、これこそ伝説という言葉が相応しいアルバムだが、当時すでにポップ・アートの第1人者だったアンディ・ウォーホルの名前をジャケットの表に出し、バンドの名前は裏に書かれているという点はウォーホルの作品(バナナの絵)のオマケとしてレコードが付いているという印象を与えてくれる。実際はどうだったか知らないが、バンドとしてもウォーホルに乗っかろうという意図はあったかもしれない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンド自体は1965年にはすでに結成されてデモテープも残されているが、それを聴く限りではフォーク・ロック色が強く、まだまだこのアルバムの音とは繋がっていかない。ジョン・ケイル、ルー・リード、そしてスターリング・モリソンが元々持っていた音楽性がウォーホルとの出会いなどを経て覚醒していったのかと勝手に想像している。もちろん、そこにはドラッグの影もちらほらと。

当時19歳だった俺はなんと言っても⑦が魅力的だった。ヘロインを打ったあとの様子を実況しているような内容のドラッグ・ソングという理由だけで。それだけで好きな曲だなんて今思うと単純すぎるが、若い時なんてのはそんなものだ。そして当時は軽視していたのが①で、今でいうならソフト・ロック風なのだけどバックで鳴っているドローン風な音が少しずつ恐怖を与えると感じてからは、実はすごい曲なんだなと思うようになった。これを1曲目にもってきたのは大正解なのだと。「日曜日の朝」なんてそんな清々しい邦題でいいのだろうか!?そして、ドイツ出身のモデル、ニコのヴォーカルがフィーチャーされているのは③⑥⑨の3曲だが、どれを聴いても地下室から聴こえてくるような雰囲気を醸し出してて、最もアンダーグラウンドっぽいんだよなと思う。個人的にはあまり好きじゃないけど。あとは②や⑤などの、ルー・リード風のロックンロールはもはや古典と言ってもいいだろう。ドラッグやSMやアブノーマルな世界を歌ってる曲が多いという点も若者には魅力に感じたものだ。

さて、バナナの部分がシールになったレコードを買ってきた俺は、レコードを聴きながら上の方の部分を剥がしてみた。なぜ上の方の部分かというと、"Peel Slowly and See"と書いてあるからだ。バナナをめくるとちゃんとバナナの実が出てくるが、全体がピンク色に覆われている。本当は全部剥がしてみたかったが、そうしたら元の形に貼れないのではと思って半分ぐらいまでしか剥がした事がない。でも1度は全部剥がしてみようと思っていたのだが、後に知り合った友人が同じく剥がそうとしてバナナを真っ二つに破ってしまったと話すのを聞いてからはやめとこうと思ったのだ。だからLPを持っているにも関わらず、未だこの目でピンク色のバナナを全部見たことはないし、きっと今後も見ることはないと思う。(h)

【イチオシの曲】European Son
19歳当時はどちらかというと嫌いな曲だった。8分ぐらいあって、ヴォーカルが最初の1分以内で終わってあとはハチャメチャな演奏が延々と続くからというのがその理由。だけどノイズやらなんだといろいろと聴くようになってきてからはアルバム中最も好きな曲となっている。ヴェルヴェッツのアルバムでは凶暴さしかない2枚目の『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』が最も好きなのだけど、それに通じるものをこの曲は持っている。ちなみにバナナ・アルバムではこの曲、2枚目は"The Gift"、3枚目は"The Murder Mystery"が好きという、かなりの偏りかたであることを書いておきたい。

2012年10月28日日曜日

ドナルド・フェイゲン / ナイトフライ


Donald Fagen / The Nightfly(1982年リリース)
①I.G.Y. ②Green Flower Street ③Ruby Baby ④Maxine ⑤New Frontier ⑥The Nightfly ⑦The Good Bye Look ⑧Walk Between Raindrops

音楽雑誌で名盤を紹介するとよく「何百回聴いたかわからない」という表現を目にする。若い頃はそんな大げさなと思ったが、40歳も越えてくるとその表現がいよいよ本当になってくるものだ。俺にとってはスティーリー・ダンの『ガウチョ』、そしてドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』の2枚がまさにそれで、毎年平均20回聴いているとして24年ぐらい、500回前後は確実に聴いていると思う。

『ナイトフライ』はスティーリー・ダン(以下SD)が活動停止をした2年後の1982年にリリースされた。SDと同じように一流のスタジオ・ミュージシャンを使い、ゲイリー・カッツがプロデュースし、ロジャー・ニコルスがエンジニアを務め、フェイゲンが歌う。当時その音ははSDそのものと言われていたし、確かに『エイジャ(彩)』や『ガウチョ』と聴き比べても差異はあまり感じない。唯一の違いはSDの楽曲の歌詞が持つ「毒」がないことだ。独特の皮肉だったり、捻くれた世界がここにはない。やはりウォルター・ベッカーがいてこそのSDだというのを改めて認識させてくれるが、先に述べたような一流の豪華ミュージシャンによる音ばかりに注目してしまうのは仕方が無いことかもしれない。

しばしばその音をして「都会の夜に似合う」とか「大人の音楽」と形容されているのを見かけるが、それは俺は違うと思っている。むしろ郊外に住む普通の若者のための音楽だと思う。なぜならブックレットにはフェイゲンによる言葉が添えられていて「このアルバムに収められている作品は、5~60年代にアメリカの郊外で育った若者が抱いていたある種のファンタジーをテーマにした」と書かれている。そして歌詞を見ても②では山の手の住宅街が舞台であったり、④では若い男女がSuburban Sprawlという郊外の住宅政策について意味を見出そうと話してみたり、タイトル曲の⑥は寝静まった真夜中にラジオから流れてくるクールなジャズとDJのしゃべりに身を任せている情景が歌われている。よくあるAORという音楽でイメージされるオシャレで煌びやかな都会の風景とはまるで違う。

このアルバムがリリースされてから30年以上が経つが、今でも聴き継がれているのはただ単に参加ミュージシャンが凄いとか、AORの名盤(そもそも俺はAORだなんて思ったことがない。ロック・アルバムだ。)だからという理由だけではないと思う。③のカバー曲や⑧が持つオールディーズ的な雰囲気や、そして哀愁漂う⑦などがいつ聴いても「懐かしさ」を感じさせてくれるからではないだろうか?「三丁目の夕日」なんて映画があったが、まさにアレみたいな感じと言ったら言い過ぎだろうか?俺は50年代に生きてはいなかったけど、このアルバムを聴くと時々そう思ったりするわけだ。で、矛盾してしまうが、その割にはこのアルバムに古臭さがないのはやはりその音の素晴らしさなんだと思う。ちなみに各曲に参加ミュージシャンのクレジットがあるが、ドラムは主にロジャー・ニコルズが開発した「ウェンデル2」というサンプリングマシンに録音した音をプログラムして使用していたらしい。だから①や⑤をよく聴くとそのリズムの正確さが目立っている。

ところで、SDのアルバムは本人たちによるリマスターがされているが、フェイゲンのこのアルバムは未だにリマスターがされない。一度は発売日までアナウンスされたにも関わらず幻となってしまっているのは何故なんだろうか・・・。SDのアルバムがリマスターされた時は、それまでのマスターとの違いにかなり驚いたから、期待し続けてもう10年以上は経つんだけど・・・・。(h)


【イチオシの曲】The Nightfly
アルバムのジャケットのラジオ局のDJに扮するフェイゲンとシンクロするのがこの曲。サビでラジオ局のジングルのように歌う"WJAZ"ってところが聴きたくてこのアルバムを何度も繰り返してしまう。ラリー・カールトンのギター・ソロも最高。この曲から次の"The Goodbye Look"への流れがアルバムのハイライトだと思う。

2012年10月21日日曜日

ザ・スタイル・カウンシル / カフェ・ブリュ


The Stlye Council / Cafe Bleu(1984年リリース)
①Mick's Blessings ②The Whole Point Of No Return ③Me Ship Came In! ④Blue Cafe ⑤The Paris Match ⑥My Ever Changing Moods ⑦Dropping Bombs On The Whitehouse ⑧A Gospel ⑨Strength Of Your Nature ⑩You're The Best Thing ⑪Here's One That Got Away ⑫Headstart For Happiness ⑬Council Meetin'

1984年当時、ポール・ウェラーとミック・タルボットがロードバイクでひたすら走っている"My Ever Changing Moods"のプロモーション・ビデオを何度も見た記憶がある。同じような経験は俺と同年代の人に多いことだろう。当時は新人ミュージシャンなのかと思っていたが、スタイル・カウンシルはザ・ジャムを解散させたポール・ウェラーが次に組んだバンドだった。

20歳の頃、当時付き合いのあった友人の家に行って酒を飲むと、ビートルズの話から始まり、スタイル・カウンシルの話で終わるということが度々あった。ジャムではもはや表現できなくなった音楽をやるためポール・ウェラーが次に始動したのがスタイル・カウンシルで、音楽的に変化はあってもウェラーの主張や怒りはジャム時代となんら変わっていないと、奴は何度も力説してくれた。その頃スタイル・カウンシルは落ち目のころで、初期を「オシャレ」と言って聴いている奴ら(特に女)が気に入らない、だったら『コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ』も聴けよとくだを巻いていた。そう言われると確かにスタイル・カウンシルを「オシャレ」な音楽としてもてはやす風潮があったし、当時の同じクラスにいた女も「オシャレで最高」とケタケタ笑いながら言ってたことも思い出した。奴と疎遠になってしまってから俺はようやくこの『カフェ・ブリュ』を聴いた。だがしかし2回か3回は聴いたものの、俺にはどうも馴染めないものだったことを知った。どう攻略すればいいのか分からなかったのだ。奴に教えを請いたいと思ったぐらいに。

アナログでのリリース当時は①から⑦までがA面にあたるのだが、このA面が俺には曲者だった。①はタイトルどおりミック・タルボットによるピアノによる小品、③はカリブっぽいジャズで、④はムーディなスロー・ジャズのような曲、⑦はハードバップ風と、4曲がインストゥルメンタルで、②⑤⑥のヴォーカル曲もいまいちつかみ所がなかった。⑤などはエヴリシング・バット・ザ・ガールのトレイシー・ソーンが歌っているからなおさらに。そして致命的なのが⑥だった。中学生の時にPVで見た軽快な曲ではなく、ピアノの弾き語りという、言うなれば別バージョン。B面にあたる⑧以降はラストを除いてはヴォーカル曲ではあったが、前半の幅広すぎる音楽性に戸惑ってしまった俺はこれを克服するのに15年ぐらいかかってしまった。アルバムのジャケットとこれらのジャズやソウルをベースにした音楽性は「クール」というに相応しく、それが当時は「オシャレ」という表現でスタイル・カウンシルはその出だしから日本では好評だった。俺の記憶では2枚目の『アワ・フェイバリット・ショップ』の頃が最もオシャレと言われていたんじゃなかっただろうか?なお、このアルバムの前には"Introducing"というミニ・アルバムが出ているが、これは『カフェ・ブリュ』の前に出ていたシングルなどを集めたもので、イギリス以外の国で出たものなので1stアルバムとはカウントしていない。そう、スタイル・カウンシルはシングルとアルバムは別物というスタイルをとっていて、だから⑥もここではピアノの弾き語りなんだなと今では納得してしまう。

しかしこれじゃまるで俺はこのアルバムをけなしているかのようだが、まったくそうではなくむしろ好きなアルバムである。90年代にもなるとクラブ・ミュージックが台頭しはじめてきて、ジャズやブーガルー、ラテンなどをミックスした音源がいくつも出てきたが、そういうのを通過してきた後に『カフェ・ブリュ』を聴くと、これはそれらの先駆けのように思える。当時のポール・ウェラーの佇まいなんかも後の日本の渋谷系の連中も影響うけてるだろなんて思ったりするし、つまり今こそもっと再評価されてもいいんじゃないかと思っている。今では80年代は嘲笑の対象となることが多いが、お前らしっかり影響されてんだよとも。

ポール・ウェラーの最も尖がっていた時期はスタイル・カウンシルの頃だ。世界中の音楽に目を向け取り入れようとする挑戦もしていたのに単なる「オシャレ」という言葉で片付けてる奴らは何も聴いちゃいない、俺の当時の友人はそんなこともよく言っていた。お互い学校を卒業してからは疎遠になってしまったが、いま奴はどこで何をしているんだろう?今も誰かに同じようなことを話しているなら俺は安心だけどね。(h)

【イチオシの曲】You're The Best Thing
個人的にはこのアルバムで最も安心して聴ける曲。というのも、スタイル・カウンシルのイメージが俺の中ではこの曲に集約されているから。これと⑥のシングル・バージョンがイメージを決めてしまったからアルバムで大いに戸惑ったに違いない。

2012年10月14日日曜日

ホール / プリティ・オン・ジ・インサイド


Hole / Pretty On The Inside(1991年リリース)
①Teenage Whore ②Babydoll ③Garbage Man ④Sassy ⑤Goodsister/Badsister ⑥Mrs. Jones ⑦Berry ⑧Loaded ⑨Star Belly ⑩Pretty On The Inside

イントロもなく「私が十代の娼婦だった頃~」なんて歌い出す①から始まるこのアルバムを作ったバンドの名前はホール、もちろんその意味するところは「穴」である。その見た目も、その歌声も、その演奏も、決して褒められたものではない。フロントに立つコートニー・ラヴは、ステージでPAに片脚を乗せ大きく股を開き、ギターを掻き鳴らし、喚くように歌う。ただただ下品である。

ところで、'Whore'って単語の日本語訳が娼婦、売春婦とか売女ってのはちょっと古いというか昭和臭がするというか。ヤリマン、ビッチ的な意味なのか、あるいはお金を稼ぐという意味では援交、ウリとか。もう少しサーヴィスが具体的ならデリヘルとか。「十代の○○」って言い回しも日本語だとあまりしないような。「私が援交してた十代の頃~」って少しでも違和感のない日本語になるようにと工夫してみたが、なんかしっくりこない。

閑話休題。

ニルヴァーナのカート・コバーンの名声を利用してのし上がったと思われている節があるコートニー・ラヴ。しかし、ニルヴァーナが『ネヴァーマインド』でブレイクする前に発売されたホールの1stアルバムのプロデューサーには、なんとソニック・ユースのキム・ゴードンと、ザ・ヴェルヴェット・モンキーズ、B.A.L.L.やガンボールのフロントマン、ドン・フレミングが名を連ねている。つまり、この時点ではニルヴァーナよりもホールの方が有望視されていたことが容易に想像できる。あれ?何のエクスキューズにもなってないか?

余談だが、ドン・フレミングがプロデュースした作品には、ティーンエイジ・ファンクラブの『バンドワゴネスク』、スクリーミング・トゥリーズの『スイート・オブリビオン』、ザ・ポウジーズの『フロスティング・オン・ザ・ビーター』なんていうのがある。なんとまぁ俺好みなこと!

閑話休題アゲイン。

さすが二人もプロデューサーが付いてるだけあってかそれぞれの曲にはフックがありアルバムの構成もしっかりしたモンです。③や⑤あたりのちょっと引きずるようなサウンドとメロディが個人的には好き。シングルカットされた①は英国のインディ・チャートで1位を記録しているが、コートニーの個性的なヴォーカルと赤裸々な歌詞以外は平凡な気がする。そんな中で注目すべきはノイズとサウンドコラージュで構成される実験的な⑨。2分にも見たない曲ではあるが、曲の終盤に挿入される「ベスト・サンデイ・ドレス」のメロディがたまらなくカッコイイ!この曲はもともとコートニーがベイブス・イン・トイランドのキャット・ビーエランドと組んでいたバンドの音源のようで、後に3rdアルバム『セレブリティ・スキン』製作時に改めて録音されたものよりもこの初期のバージョンのほうが好みなんだなぁ。

とまぁそんなカンジで、ホールに関しては2ndアルバム『リヴ・スルー・ディス』だけ聴いとけば良いんじゃないかなぁ。この『プリティ・オン・ジ・インサイド』は、決して人には勧められるような作品じゃあないことだけは確かです。でもね、俺は大好きなんですよ、このアルバム。

P.S.
ニルヴァーナとホールの両方に興味があるなんて人には、幼少のカート・コバーンがジャケットを飾る『ビューティフル・サン』ってシングルを是非聴いて欲しい。入手は困難だと思うので、『マイ・ボディ・ザ・ハンド・グレネード』って編集盤をどうぞ。幼少のカートのジャケットはググって探して見てみてね。

あともうひとつ書かせて。ソースは失念したが、コートニーが「ミート・パペッツの曲をカートが歌うとそのメロディの良さが分かる」という旨の発言をしていたと記憶している。全くその通りで、後にカート・コバーンの手による曲だとバレてしまった「オールド・エイジ」や、ニルヴァーナのセルフタイトルのベスト盤『ニルヴァーナ』で世に発表される以前にホールがMTVアンプラグドで歌った「ユー・ノウ・ユーアー・ライト」なんて、コートニーが歌うとそのメロディの良さが全て台なし。

でもね、俺はホントに大好きなんですよ、ホールってバンド。(k)

2012年10月7日日曜日

ブロンディ / 妖女ブロンディ


Blondie(1976年リリース)
①X Offender ②Little Girl Lies ③In The Flesh ④Look Good In Blue ⑤In The Sun ⑥A Shark in Jets Clothing ⑦Man Overboard ⑧Rip Her To Shreads ⑨Rifle Range ⑩Kung Fu Girls ⑪The Attack Of The Giant Ants

まだ俺がハタチにもなっていなかった25年ぐらい前、テレビの深夜番組で女性のアマチュアバンドのことを取り上げた番組をたまたま見ていて彼女たちの練習風景が流れた。そこで演っていた曲がブロンディの「汚れた天使(⑧)」だったのだが、それを見て俺は嬉しくなった。当時、世間では(最近再結成もした)プリンセス某というグループが女性による「ロックバンド」とかもてはやされていたことに嫌悪感を抱いていたのと、一方でアマチュアのバンドがブロンディのどちらかというとダーティなイメージのある曲を演っていたという事実にほくそ笑んだのだ。ちなみにそのバンドは当時俺よりも年上の人たちというか、30代の人たちだった。そりゃブロンディを演るよなと納得した。

ブロンディはニューヨーク・パンクのシーンに登場したが、テレヴィジョンやパティ・スミスのようなアート的な佇まいも無ければ、ラモーンズやリチャード・ヘルのようなパンクらしさも無い。どちらかというとポップなイメージが強く、それが功を奏して彼らニューヨーク勢の中で最も商業的に成功したグループとなった。「ハート・オブ・グラス」や「コール・ミー」などのヒット曲からはディスコ・ミュージックの印象を与えるが、彼らの音楽の下地となっているのは60年代のガールズ・ポップやサーフ・ミュージックだと思う。彼らの初のシングルとしてリリースされた①を始めとする11曲はどれを聴いても60年代ポップスへのオマージュのように聴こえるし、キーボードは時折ザ・ドアーズを思わせる部分もある。そんな中で③のようなうっとりする曲はこのアルバムだけ見るとある意味異色かもしれない。何せ後半には「戦え、カンフー・ガールズ」と邦題のついた⑩や「恐怖のアリ軍団」という邦題の⑪なんかも含まれているから。

さて、ブロンディといったらやはり紅一点のデボラ・ハリーのことを書かなくてはならないだろう。70年代後半のセックス・シンボル的存在にまでなった彼女はブロンディでデビューした時にはすでに31歳だった。俺もここ10年ぐらいの間に知ったのだけど、彼女はブロンディ以前にも音楽活動をしていて、60年代後半にはザ・ウィンド・イン・ザ・ウィロウズというグループに参加していてアルバムも出していたそうだ。それだからかだろうか、俺はずっとブロンディでの彼女はガールズ・バンドのようなキャピキャピしたイメージがまったく無く、肝が据わっているような印象を受けていた。ザ・ウィンド・イン・ザ・ウィロウズというバンドは商業的な成功は無く、彼女はウェイトレスのバイトをしながらひたすら機会をうかがっていたそうで、これはあくまでもイメージだが、ブロンディを結成した時には何でもやるわよ!という勢いがあったんじゃないかなと、今はこのアルバムを聴くとその種の気負いを感じることがある。まあ考え過ぎかもしれないけど。

余談だが、最近車のCMで「ハート・オブ・グラス」が使われていて、俺も何気なく自分のブログ「トーキョーオンガクサイト」でそのことを書いたのだけど、その記事へのアクセスがものすごく多くてビックリしている。しかしそれはすなわち、ブロンディの楽曲が今も十分アピールできるものであって、多くの人を惹きつける魅力に溢れているものなんだろうと思う。そういえば俺だって今でも昔と同じような気持ちで彼らの曲を聴いているし、古臭いと思ったことがないからね。

そんな中でもこの1st『妖女ブロンディ』は60'sポップスと現代を繋ぐパイプ的な1枚でもあると勝手に思っている。俺は今はアナログしか持っていないから、最近はちゃんと聴いていないんだけどね、実は・・・。(h)

【イチオシの曲】Rip Her To Shreds
ガールズ・バンドには是非カバーしてほしい曲。この下品さが出せれば最高だよって思う。昔、外国人の先生から、親しい仲間を呼ぶ時にいちいち名前を呼ばずに「プスー(PSSSSS!)」と空気を吐き出すようにして音を立てるって聞いたことがあって、この曲の冒頭の「ヘイ!プスプスッ!ヒーシカムズナーウ」の「プスプス」ってそういうことかと思った時にちょっとした世界観が広がったと思った19歳の頃を思い出してしまうんだよなw

2012年9月30日日曜日

ロバート・プラント / 11時の肖像


Robert Plant / Pictures at Eleven (1982年リリース)
①Burning Down One Side ②Moonlight in Samosa ③Pledge Pin ④Slow Dancer ⑤Worse Than Detroit ⑥Fat Lip ⑦Like I've Never Been Gone ⑧Mystery Title

ビッグ・ネームなバンドに所属していた人がソロ・アルバムを出せば、そのバンドと比較されてしまうのは必然だと思う。ロバート・プラントもきっと間違いなく比べられただろうけど、相手がレッド・ツェッペリンというのはどうにも分が悪いような気がする。いや、そのツェッペリンのヴォーカリストなのだから分が悪いってことは無いかもしれないが、それにしても、ロックの歴史にその名を残すバンドのヴォーカリストがそのバンド無き後に出すアルバムなのだから、期待されないわけがない。

レッド・ツェッペリンは1980年9月25日にドラムのジョン・ボーナムを亡くしたことで、その年の終わりに解散を発表した。ここは俺はリアルタイムではないからその時の驚きなどはよく分からないが、ボンゾの死やバンドの解散はさぞかし大きなショックを世界中に与えただろうと想像する。それから約1年半してからギターのジミー・ペイジは映画「ロサンゼルス(原題:Death Wish II)」のサントラをリリース。しかしインストゥルメンタル主体の、しかもサントラということでツェッペリンとはかけ離れた内容には多くのファンが満足いかなかったと思う。そして1982年6月に発表されたのがロバート・プラントの『11時の肖像』だった。

俺がロバート・プラントという人を知ったのは1983年のこと。2枚目の『プリンシプル・オブ・モーメンツ』からシングル・カットされた「ビッグ・ログ」という曲がスマッシュ・ヒットを記録していた頃だった。哀愁漂うミドル~スローなテンポのこの曲のプロモーション・ビデオを何度も見た記憶がある。たぶんこの時はまだこの人がレッド・ツェッペリンのヴォーカルだったとは知らなかったような気がする。何せ俺がツェッペリンを聴きだしたのはその2年後ぐらいだったから。それまでは単なるベテラン・シンガーってぐらいの認識だったかもしれない。後にツェッペリンを聴くようになり、彼の最初の2枚のアルバムがかつてのバンドの音に近いと思うようになったのはもっと後になってからだ。

『11時の肖像』はロバート・プラント名義で出ているが、もしレッド・ツェッペリンが80年代も活動していたらそのままツェッペリンの新しいアルバムとして出ていたのではないかと思いたくなるほど、後期のアルバム(『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』)に近い音だ。特にリズム面をフィル・コリンズやコージー・パウエルという、ハードロックにも通じるタイプのドラマーを使うところなんかは、ロバート自身もツェッペリンを意識したのではないかと思う。特にコージー・パウエルが叩く④なんかは「カシミール」あたりを彷彿とさせる。しかし彼はツェッペリンを意識しつつも、その焼き直しになるようなことはやってこなかった。最初の2枚のアルバムの後にツアーも行っていたが、すべてソロの曲ばかりで、きっとほとんどの聴衆が求めるツェッペリン・ナンバーは1曲もやらなかったそうだ。あくまでも彼の描くロック・ミュージックがその後のアルバムも含めてあるように思える。しかし全体的には地味なアルバムで、やはりツェッペリンと比べてしまうのが人の性というものだろうか。

だってね、この同じ年にはレッド・ツェッペリンの『最終楽章(コーダ)』が解散後のアルバムとしてリリースされちゃってるんだよ、絶対にこれと比べちゃうし、どうしたってそっちのほうが良いに決まってるだろう。あまりにもビッグ・ネーム過ぎるんだよ・・・。(h)

【イチオシの曲】Fat Lip
いちばん目立つ曲は④なんだけど、俺はFMの番組でこのアルバムの曲で最初に聴いたのがこれで、すごくカッコいいと感じた。ツェッペリンの看板が無かったらもっと違った形で売れていたんじゃないかなと思う。いや、十分ヒットしましたよ、特に最初の2枚のアルバムは。


2012年9月23日日曜日

ベン・フォールズ・ファイヴ / ベン・フォールズ・ファイヴ


Ben Folds Five (1995年リリース)
①Jackson Cannery ②Philosophy ③Julianne ④Where's Summer B? ⑤Alice Childress ⑥Underground ⑦Sports & Wine ⑧Uncle Walter ⑨Best Imitation Of Myself ⑩Video ⑪The Last Polka ⑫Boxing

1998年の東京で行われたフジ・ロック・フェスティヴァル。俺はイギー・ポップとソニック・ユースを目当てに1日目だけ出かけた。後日、テレビでこの時の模様を放送したのでその時に初めて2日目の様子も見た。出演者を見ながら誰だかよく分からないなぁとビデオを早送りしながら所々見ていて何となく普通に再生して見たのがベン・フォールズ・ファイヴ(以下BF5)との最初の接点で、これを早送りしていたら俺はこのバンドを今も聴いていなかったかもしれない。

その映像を流しながら最初は単純に曲がいいなと思って見ていた。ところが2曲目(この時の放送はダイジェストで各アーチスト2曲ずつが基本だった)を日本語で歌いだしたから驚いてしまい、しかも「金を返せ、金を返せ、ゆびっち!」と言ってるではないか。そして挙句の果てにはピアノ兼ヴォーカルの男は座っていた椅子を最後自分のピアノに叩きつけて終了というハチャメチャさ。俺はこの1曲のパフォーマンスであっという間に彼らのファンになってしまった。もうこの時点でギターレスってところがとにかく気に入った。翌日にはCDを買いに行ってたぐらいだ。

このアルバムが出た1995年頃の音楽雑誌の主役はアメリカではグランジ後のバンドで、イギリスでもギター・ロックばかりで個人的にはウンザリしていた。当時はまだBF5のことを知らなかったが、本国アメリカよりも日本のほうがウケがよかったというのはなんとなく分かる気がする。ただ日本では当時キムタク主演のドラマに②が使われたというのが大きかったのかもしれないが・・・。BF5の魅力はメロディはもちろんのこと、ダレン・ジェシのドタバタしたドラムにロバート・スレッジのビリビリ鳴るベース、そしてベン・フォールズの時に美しく時に荒いピアノ、3人のうち1人でも欠けたらそれはBF5の音ではなくなるということを特にこの1stアルバムは証明してくれていると思う。「泣き虫野郎のパンクロック」と自らの音楽性を表していたそうだが、パンキッシュな中にも女々しさのある歌詞などがまさにそうだと思える。クラスで目立たず時々苛められてた奴が陰で「この野郎」と文句を言ってたような、そんなイメージ。

俺がBF5に夢中になった1998年、彼らのことを知りたくてWebを調べまくったが、日本語で書かれたファンサイトが1つも無かった。それはダメだろうと思った俺は、だったら自分で作ってしまおうと、まだBF5歴数ヶ月にも関わらず彼らのファンサイトを開設したという過去がある。その中でこのアルバムについては「捨て曲が一切無い」と書いていたのだけど、今聴きなおしてみても同じ感想を抱いている。そして、このバンドを知ることができたことが俺の90年代の中でもかなり大きな比重を占めていたことを再確認した。

そんな彼らが再結成して13年ぶりのアルバムを出したことは非常に喜ばしい。そしてまたこのアルバムの曲や「金返せ」を日本で聴ける日が来ることを待ち遠しく思っている。(h)


【イチオシの曲】Julianne
「僕が出会った女はアクセル・ローズにそっくりだったんだ」で始まるパンクな曲。結局この女をモノに出来なかったことを歌ってるのか、モノにしなくて良かったと歌っているのかよく理解できていないが、なんとなく最初から自分には無理だったんだよと歌っているような気がする。このアルバムよりも"Naked Baby Photos"に収録されたライヴ・バージョンの方が疾走感があって良い。

2012年9月16日日曜日

ザ・ストロークス / イズ・ディス・イット


The Strokes / Is This It(2001年リリース)
①Is This It ②The Modern Age ③Soma ④Barely Legal ⑤Someday ⑥Alone, Together ⑦Last Nite ⑧Hard To Explain ⑨New york City Cops ⑩Trying Your Luck ⑪Take It Or Leave It

天に二物を与えられたような人が羨ましい。野球で言うところの四番でピッチャー。俺は神に対して「何故こんな不平等な世界を作ったのか?」と問い詰めたいと常々思ってる。でも、神様なんて居ない。だが、下した腹を抱えてトイレを探し求めている時だけは、神という存在に祈ることはよくある。

時は20世紀末、俺は人生のマイルストーンを幾つか迎えては越えを繰り返しておっさんになり、身も心もすっかり丸くなってしまった。そして、音楽(産業)に対する忠誠心をすっかり失ってしまった結果、CDの購入枚数が激減した。そんな状況下で、音楽誌ロッキング・オンの紙面でストロークスを最初に知った時は、その佇まいを見て「あぁ、またハイプね、フフン」程度の印象であった。幼稚な劣等感(コンプレックス)に精神を歪まされている俺は、ニューヨークから出てきたアッパークラスでグッドルッキングガイなストロークスというバンドを斜に構えて捉えることしかできなかったのだ。その音楽を耳にするまでは。

ストロークスを語るにあたり、同じくニューヨーク出身であるヴェルヴェット・アンダーグラウンド等が引き合いに出されることを散見する。確かにサウンド自体は良い意味でも悪い意味でもレトロなロックを思い起こさせるが、しっかりとしたフックとキャッチーなフレーズがあり、それらのバンドが持っていたアート的な雰囲気よりもポップソングであることが前に出ている。またストロークスは、ガレージロック・リバイバルの中心的なバンドのひとつと言われているようだが、ガレージという言葉から連想される小汚さからは程遠い。ルックスなど音楽そのもの以外の情報過多で先入観があることは認めざるを得ないが、ストロークスにはロックンロールという言葉がしっくりくる。同様に先入観で申し訳ないが、ガレージロックという言葉ならホワイト・ストライプスの方がお似合いだ。

ストロークスのブレイクには、ブリッド・ポップが失墜しレディオヘッドのポスト・ロック的なアプローチの後、ギターを中心とした骨太なロックへの揺り戻しという時代の流れの後押しがあったのかもしれない。しかし、このアルバムに収録されている曲はどれも小細工不要でシンプルであり、ただただ素晴らしく、そのような後押しがなくてもブレイクは必至だったろう。たった36分のアルバム全体を通した流れよりも、シングルカットできる曲が目白押しであることが驚異的である。デビューE.P.のタイトルトラックである②の他、⑤、⑦、⑧がシングル・カットされているが、それ以外も佳曲ばかりだ。さらに驚いたことには、フロントマンであるジュリアン・カサブランカスがこの『イズ・ディス・イット』の作詞作曲を全て手掛けているのだ。なんだ完璧(パーフェクト)超人か。その四番でピッチャーのジュリアンのワンマン・バンドとは思わせないような雰囲気、バンド然としているところも良い。実情は知らないが。

さて、ここまで書いておいて何だが、俺はストロークスのことが素直に好きになれない、ということを白状しておこう。その理由のひとつが、自分とは正反対のスタイリッシュで洗練されていることへの劣等感(コンプレックス)であるのは言うまでもない。そして本題。イギリス(北アイルランド)のバンド、アッシュが『1977』というアルバムを出し、それが意味するところのひとつが「自分たちの生まれた年である」というのを1975年生まれの俺が知った時のなんとも言えない感覚をおわかりいただけるだろうか。甲子園ではつらつとプレーする高校野球の選手達が、いつの間にか自分より年下であることの意味を改めて噛み締めたあの時と同じだ。憧れや尊敬の対象が自分より年下であることへの抵抗感と劣等感(コンプレックス)である。結局は、おっさんになり感受性が鈍ってしまったことで物事を素直に捉えることができなくなってしまった自分が悪いだけなのだ。だから、これらバンドの創る音楽がどんなに素晴らしいものかということを頭で理解できても、心の底から好きになれない自分がいる。その結果、昔は良かったなどと90年代を懐古するおっさんに成り下がってしまった。そう、俺がおっさんになってしまったという単純な理由なのだ。

冒頭、神様の存在を否定したおっさんの俺だが、今年に入ってこんなことがあった。完璧(パーフェクト)超人のはずのジュリアンがイケてない野球帽(キャップ)を被り、肥えた身体でパフォーマンスする姿がただのおっさんにしか見えなかったのだ。その時、俺の劣等感(コンプレックス)はいくらか鳴りを潜め、神様の存在を肯定できそうな気がした。ところで、この文章中で俺は何回「おっさん」とか「劣等感(コンプレックス)」とか書けば気が済むのだろうか。(k)

2012年9月9日日曜日

ジョン・レノン / ジョンの魂


John Lennon/Plastic Ono Band(1970年リリース)
①Mother ②Hold On ③I Found Out ④Working Class Hero ⑤Isolation ⑥Remember ⑦Love ⑧Well Well Well ⑨Look At Me ⑩God ⑪My Mummy's Dead

中古CDでジョン・レノンの棚を見ると、『イマジン』とこの『ジョンの魂』を多く見かける。ジョンといえばこの2枚がやはり人気がある分こうして中古も見かけるのだろうけど、これを売りに出した人たちは最初にジョンの音楽に何を求めてこの2枚を選んだのかなと考えてしまう。いや、俺も実を言うとかつて持っていたこの2枚のアルバムを売ったことはあるが、それは貧乏時代にやむを得ずしたことであって、特に『ジョンの魂』は一度聴いたら一生持っていたいロック・アルバムだと思っていたのですごく後ろめたい気分だった。

『ジョンの魂』のような人間味を感じるアルバムにはめったに出会えない。心の中にある言葉を正直に吐き出していて、バックも最低限の音だけで飾ったようなところが1つも無い。ビートルズの影はここにはどこにも無く、これがこのアルバムを初めて聴いた時に戸惑う理由なのかもしれない。俺はジョン・レノンについては2つの「後追いで良かった」と思えることがある。1つはジョンの死のことで、当時小学6年生だった俺はジョンが亡くなったというニュースを見ても誰なのかよく分かっていなかった(その翌年からビートルズを聴くようになった)。そしてもう一つがビートルズのリアルタイム世代ではなかったこと。もしビートルズの解散を目の当たりにしたあとに『ジョンの魂』を聴いていたら相当ショックを受けたんじゃないかと思う、特に⑩の「ビートルズも信じない」なんて言葉を聴いたりしたら。

初めて①のイントロで鳴る鐘の音を聴いた時は正直怖いと思った。俺もまだ学生の頃はジョンの曲といえば有名どころというか、「スターティング・オーバー」や「イマジン」など、所謂ベスト盤に入っているような曲しか知らなかったからこのイントロの重さは凄まじかった。そしてフェイド・アウトするにつれてジョンは声を振り絞るように叫ぶ「ママ、行かないで」と。早くから両親不在で育ってきたジョンにとって、ようやく一緒に母親と暮らすことができるという時に交通事故で亡くしてしまったショックというのはずっとジョンにつきまとっていたのだろう。それをプライマル・スクリーム療法でその気持ちをさらけ出したのがこの曲だ。乱暴な言い方をしてしまうと『ジョンの魂』はこれに尽きるのではないかと思う。①で聴くものをふるいにかけている感がものすごくする。この生々しさに耐えられる者がきっとこのアルバムをずっと聴き続けるのだと思う。

このアルバムは他にも②や⑤や⑨など、ジョンの心の中を歌っているような曲が多いし、⑧や⑩のような攻撃的なジョンも垣間見える。そうかと思うと今ではスタンダードのような⑦も入っていて、『ジョンの魂』という邦題はよくぞつけてくれたと思うぐらいピッタリなタイトルだと思う。まさにジョンのソウル(魂)が感じられるアルバムだし、このアルバムを体験したロックと体験していないロックとでは方向性が180度違うよねって言いたい。そしてビートルズのジョン・レノンに魅了されている人でこのアルバムを聴いていないという人がいるなら、一度は体験しておくべきアルバムと言っておきたい。(h)

【イチオシの曲】Mother
本文にも書いたが、冒頭のこの曲でこのアルバムを聴けるかどうかが分かれるのではないかと思う。ジョンは早くから両親と別離していたこともあって、タイトルだけだと母親のことのようだけど、「パパ帰ってきて」とも叫んでいる。実際、ジョンの父親はジョンがビートルズで成功してから名乗り出てきて、ちゃっかりジョンから援助してもらっていたそうだ。


2012年9月2日日曜日

ベック / メロウ・ゴールド


Beck / Mellow Gold(1994年リリース)
①Loser ②Pay No Mind (Snoozer) ③Fuckin With My Head (Mountain Dew Rock) ④Whiskeyclone, Hotel City 1997 ⑤Soul Suckin Jerk ⑥Truckdrivin Neighbors Downstars (Yellow Sweat) ⑦Sweet Shunshine ⑧Beercan ⑨Steal My Body Home ⑩Nitemare Hippy Girl ⑪Mutherfuker ⑫Blackhole

俺がベックに興味を持ったのは1998年のフジロックで少し観たのと、後にテレビでその模様をちゃんと見てからだったので、アルバムで言うと『オディレイ』が出て数年してからという遅れたファンだ。時は1993年、ニルヴァーナを始めとするグランジ・シーンも落ち着いたころに突如「俺は負け犬、いっそのこと殺してくれ」と歌った「ルーザー」という曲が話題になり、当時読んでいた音楽雑誌でも「変な奴が現れた」的な書き方でこの新しいタイプのミュージシャンに注目していたと記憶する。俺はその雑誌の書き方が気に入らなくて当時は興味を持てなかった。

実際に他の人がどう思っているのか分からないが、俺が想像する一般の人が抱くベックのイメージは『オディレイ』やその後の作品から、その時のトレンドを取り入れながら時代の半歩先を行く音楽を作っているとか、そんな感じなのだけどもしそのイメージでこの『メロウ・ゴールド』を聴くと少なからず戸惑ってしまうだろうなと想像する。しかしそれはあくまでも最近のアルバムから遡った場合の話であって『メロウ・ゴールド』前後のベックの活動を押さえておけばむしろ『オディレイ』以降が特殊だと言ってしまってもおかしくはない。

ベックは80年代中頃に高校をドロップアウトして祖父のアル・ハンセンと共にヨーロッパを放浪し、80年代終わり頃にニューヨークへ戻ってくる。その時に目の当たりにした「アンチ・フォーク」というムーヴメントに触発され、彼自身も古いブルースやフォークを基調とした音楽を演奏し始めた。ちなみにアンチ・フォークとは、70年代のシンガーソングライター系ミュージシャンが歌う、なよっとした一般で知られるところのフォーク・ミュージックへの反発のこと。日本で言うところの「四畳半フォーク」とかだろうか?俺もその手のフォークってのがクソほど嫌いなので、このムーヴメントは素晴らしいと思ってしまう。1988年には"Banjo Story"という作品をカセットでリリース。その後ロサンゼルスに移りバイトをしながらライヴハウスで歌うという日々を過ごす。そこから数年間の間に彼は多くの録音物を残していて、1993年にはSonic Enemyというレーベルから"Golden Feelings"をカセットでリリース、翌1994年にはFingerpaint Recordsというレーベルから"A Western Harvest Field By Moonlight"を10インチ盤でリリースし、同年にはFlipsideというレーベルから"Stereopathetic Soulmanure"というアルバムをリリースと、それまでに溜めた録音物を発表しまくっている。

これらの作品を聴けば分かると思うが、とても今のベックからは想像できないクズ曲のオンパレードである(もちろんコレは愛を込めて言っている)。フォークやブルース、ノイズ、パンクもどきなど、宅録というかローファイというかとてもメジャー・レーベルでは出せないようなものばかりである。そんな中、ベックはBong Loadというレーベルにて「ルーザー」と『メロウ・ゴールド』を録音。「ルーザー」は1993年にリリースされ、地元ラジオ局でオンエアされて話題となると、いくつかのメジャー・レーベルが獲得に乗り出してきた。しかしベックは『メロウ・ゴールド』も先に出したアルバムとほとんど同じようなレベルで製作していたから、メジャー・レーベルとの契約なんか考えてもいなかった。最終的にはすでに録音した『メロウ・ゴールド』をメジャー向けに手を加えることなくリリースしてくれると約束したゲフィン・レコードと契約した。

「ルーザー」はヒットしたが、しかしよく聴くととても奇怪な曲だと思う。スライドギターと打ち込みをバックに、低くこもった声でラップをし「俺は負け犬」と何もかもがマイナスなイメージを与えてくる。それでもこのアルバムの中ではかなりキャッチーな方で、他は彼の出自でもあるブルースやフォーク色が濃いものだが、全体的にやる気のないダルさを感じるものが多く、そうかと思うとハードコアなタイプの曲もあって、よくもまあゲフィンもこんなアルバムを認めたよなって思ってしまう。しかもゲフィンとの契約はそれだけでなく、契約後もインディーズから自由にレコードを出してもいいという特別な計らいもあった。Kというレーベルから出た"One Foot In The Grave"は『メロウ・ゴールド』の後にリリースされたフォーク、カントリー作品だ。

すでにお気づきかと思うが、ベック自身の1stアルバムはこれではなく、正確には"Golden Feelings"ということになる。これは後にSonic Enemyが2000年ごろに勝手にCD化して回収騒ぎとなって入手困難なため、今回はメジャー・レーベルでの1stとなる『メロウ・ゴールド』にしたというわけだ。このアルバムさえ聴いておけば、この時期のベックのほかの作品を聴く必要は特にないと思っているが、でも本当はベックってこういう人なんだよってのを知るためにも他の作品も聴いてみるといいと思う。これらの時期を経て、時代のエッセンスをふんだんに加えていったのが次作『オディレイ』になっていったのだから。(h)

【イチオシの曲】Loser
やはりこの曲があったからこそベックはゲフィンと契約できたわけだし、もしローカルヒットで終わっていたら『オディレイ』もその後も無かったかもしれない。最近の作品は洗練されすぎちゃっていて、そろそろこのような泥臭い作品を再び出してくれてもいいのではないかなと思う。

2012年8月26日日曜日

ブロンド・レッドヘッド / ブロンド・レッドヘッド


Blonde Redhead / Blonde Redhead (1995年リリース)
①I Don't Want U ②Sciuri Sciura ③Astro Boy ④Without Feathers ⑤Snippet ⑥Mama Cita ⑦Swing Pool ⑧Girl Boy

数年前、テレビからカズ・マキノの歌声が聴こえてきたときは自分の耳を疑った。クリスタルガイザーのCMで、ブロンド・レッドヘッドのアルバム『23』のタイトルトラックが使われていたのだ。

以前レビューを書いたキャット・パワーに続いて、デビュー時にソニック・ユースのスティーヴ・シェリーが一枚噛んでるバンド、ブロンド・レッドヘッド。2011年に引き続き、2012年5月にも来日公演を開催しているが、フロントに立つカズ・マキノが日本人ということを差し引いても長い活動期間のわりに来日の回数は多くないと認識している。個人的には2011年初頭の単独公演で初めてその姿を肉眼で確認することができたが、2002年の来日公演は風邪で、2007年のフジロック・フェスティバルは金欠で、そして2012年の公演は仕事で、てな具合にせっかく来日してくれても足を運ぶことができなかった。このように俺とはあまり縁がないと思えて悲しいけど、とても大好きなバンドなんです。

ブロンド・レッドヘッドという名前は、ニューヨークのノー・ウェーブ・バンドの一角であるDNAの曲名から取られたものであり、カズ・マキノとアメデオの男女2人のヴォーカル、スティーヴ・シェリーとの関係などから、ソニック・ユースを引き合いに出されることが多い。確かに、バンド名を冠したこの1stアルバムに収録されているより即興的、実験的な楽曲やサウンドは、ソニック・ユースを彷彿とさせるものがある。この即興的、実験的と感じられる部分は、ブロンド・レッドヘッドというバンドの個性がまだ定まっておらず、当時バンドが目指すべき方向性を模索していたことを想像させる。ドリーム・ポップと形容されることもある今現在のブロンド・レッドヘッドらしさとは違い、カズ・マキノのヴォーカルスタイルも彼女のウィスパーヴォイスを活かすようなものではない。ライヴ一発録りとまでは言わないものの、レコーディング時の小細工も少なくダイレクトで生々しいサウンドは、いい意味でも悪い意味でも隙間があり、オルタナ大好物の俺には大変心地よく感じる。

デビュー当時のベースを含む4人構成から、紆余曲折を経てベースレスの3人構成となったブロンド・レッドヘッド。もうすぐ結成から20年を迎えるが、今後もイケメンなイタリア産の双子の構築するサウンドと、カズ・マキノの歌声で浮遊感ある夢のような世界へ誘い続けてくれることを期待して止まない。とまあ書いたものの、個人的にはシカゴのレーベルであるタッチ・アンド・ゴーに所属していた頃のアルバムが好きです。この時期のアルバムは、フガジのガイ・ピチョトーをプロデューサーとして迎えている点も強調しておこう。ライヴではあまり過去の楽曲を演奏することはないようで、2002年の来日公演に行けなかったことを今でもとても悔やんでいる。このアルバムにも収録されているような、計算されていない勢いだけのドライヴ感あるサウンドやカズ・マキノのスクリーミングを生で聴くことはできないのだから。

最後に、冒頭のCMを初めて見た時、「ブロンド・レッドヘッドは俺が育てた。」と言えるようなことはなにもしていないものの、誇らしさと同時にメジャーな存在になってしまうことに対する寂しさを覚えたことを正直に告白しておこう。(k)

2012年8月19日日曜日

ザ・ストゥージズ / ザ・ストゥージズ


the stooges (1969年リリース)
①1969 ②I Wanna Be Your Dog ③We Will Fall ④No Fun ⑤Real Cool Time ⑥Ann ⑦Not Right ⑧Little Doll

高校を卒業して英語が勉強したいと専門学校に通いだした俺は常にイライラしていた。怒りの対象が決まっていることもあれば、ただなんとなくイライラしていることもあった。そのやり場のない怒りをぶつける方法もなく、日々フラストレーションばかりが溜まっていった。そんなイライラをロックを聴くことで解消していたわけだが、そんな俺の血を最も沸き立たせてくれたのがイギー・ポップが率いていたストゥージズの2枚目のアルバム"Funhouse"だった。何かの本で「ハタチ前に聴け!」と書いてあって、それに従って19歳の時に入手した。このアルバムほど感情を趣くままに吐き出していると感じたものは無い。今聴いても同じ気持ちになれるし、イライラする時のウサ晴らしにはもってこいだ。

その1年前の18歳の時に入手したのが今回紹介する1stアルバムだった。イギー・ポップという名前はその数年前に"Blah Blah Blah"というアルバムを出していたから名前は知っていたが、音楽を聴いたのはザ・ストゥージズの方が先だった。②や④といった多くのパンクバンドがカバーをしている曲が入っているとか「パンクの元祖」みたいなことが雑誌に書いてあったから興味を持った。あとから聴いた"Funhouse"とは違い、イギー・ポップ(このアルバムではiggy stooge とクレジットされている)の気だるく、だけどどこかイラついた感じのヴォーカルにすっかり魅了された。ストゥージズはデトロイト出身で当時同郷にMC5というグループがいたが、彼らの政治的なアジテーションを含んだ勢いとドアーズのサイケデリックな感じを足して割ったような音楽がこのアルバムでは聴けると思う。

18歳だった俺には②の「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ドッグ」という響きが新鮮で衝撃的だった。お前の犬になりたいとか言ってるけど絶対嘘だろうなんて勝手に決め付け、高校卒業後も電車で見かけるサラリーマンを見てはこういうのが犬だろなんて思ってみたり、専門学校でのイライラを④のタイトルに重ね合わせてみたり、⑥の最後の狂おしいギターに酔いしれたり、このアルバムそしてザ・ストゥージズがパンクの元祖と言われるのは当時の自分のフラストレーションを重ね合わせるとものすごく理解できる。後にパンクバンド達がこれらの曲をカバーしたから元祖っていうのは単純すぎると言わせてもらいたい。そんな意味ではザ・ストゥージズのアルバムはどれも「ハタチ前に聴け!」というのが正しいと思う。

話は変わるが、Amazonでこのアルバムを検索すると「イギー&ザ・ストゥージズ」と表記されているが、このアルバムと"Funhouse"だけは「ザ・ストゥージズ」名義が正しいので、これから聴く人は混同しないようにしてほしい。「イギー&ザ・ストゥージズ」名義は"Raw Power"以降に出たレコードだけだ。(h)

【イチオシの曲】I Wanna Be Your Dog
永遠のパンク・クラシック!他に何を言おうか?いいから聴いておけ。

2012年8月12日日曜日

パティ・スミス / ホーセス


Patti Smith / Horses(1975年リリース)
①Gloria ②Redondo Beach ③Birdland ④Free Money ⑤Kimberly ⑥Break It Up ⑦Land: I)Horses II)Land of a Thousand Dances III)La Mer (De) ⑧Elegie

まだハタチにもなっていなかった俺はパティ・スミスに夢中になった。今でも俺は唯一の女性ロッカーは彼女しかいないと思っている。他の女性ミュージシャンは結局のところ「女」を売りにしているようにしか見えなかったが、パティ・スミスはその辺の男よりも遥かにロックン・ロールを体現してきたと思うし、65歳となった今でもそういう存在だ。

1970年代始めにニューヨークへ出てきた彼女は演劇やポエトリー・リーディングなどを行いながらチャンスを窺がっていた。70年代半ばにもなるといわゆるニューヨーク・パンクの流れが活発になってきて、それまでギターとピアノをバックに朗読を行っていた彼女もロック・バンドを結成する。そして75年に「パンク」と呼ばれるレコードの中で最も早くリリースされたのがこの『ホーセス』だ。以前、テレヴィジョンの『マーキー・ムーン』の時にも書いたがこのアルバムも「パンク」という言葉に囚われるとその音楽性に戸惑ってしまうだろう。ここのアルバムにはロックン・ロールとポエトリー・リーディングが見事に調和された独特の世界がある。

もはやロックの古典とも言える①はゼムのカバー曲であるが「ジーザスが死んだのは誰かの罪を被ったからだけど私のではないわ」と冒頭に歌うことで完全に彼女のオリジナルと化している。初期の活動であったポエトリー・リーディングを思わせる③や⑦の壮大さ、テレヴィジョンのトム・ヴァーレインが参加した⑥など、聴き所は多い。プロデュースは元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルだが、本作をアナログで初めて聴いた19歳の頃の正直な感想は「音が薄っぺらい」というものだった。音に迫力が感じられなくて当時は2枚目の『ラジオ・エチオピア』のほうが断然好きだった。パティ自身もカー・ラジオから流れてきた本作の曲を聴いてその音の薄さに愕然としたなんて話も聞いた。しかしここには当時のニューヨークの空気が封じ込まれているし、ロックで言葉を表現するという彼女の強い意志を感じる。このアルバムを聴いて何も感じないなんて言う人がいるのであれば、ロックなんて聴くのやめちまえよって思う。

このアルバムでもう一つ語っておくべきなのはジャケット。元恋人でもあった今は亡きロバート・メイプルソープが撮ったモノクロの写真。そこに写る男性的な佇まいの彼女の姿、そして眼差しから伝わってくるストイックな緊張感。これも当時のニューヨークのアンダーグラウンドの空気を感じさせてくれて、ロックのアルバムジャケットでカッコいいものと言ったらまず最初に挙がる1枚だと思う。(h)

【イチオシの曲】Birdland
9分以上もあるポエトリー・リーディングで、この曲に彼女の初期の活動の原点を見出せる。朗読の抑揚に合わせてバックの演奏も盛り上がり、一種演劇のようにも思える。これで詩が直接伝わってくればもっと面白いんだろうけどなぁ。


2012年8月5日日曜日

ジャミロクワイ / ジャミロクワイ


Jamiroquai / Emergency on Planet Earth(1993年リリース)
①When You Gonna Learn (Digeridoo) ②Too Young Too Die ③Hooked Up ④If I Like It, I Do It ⑤Music Of The Mind ⑥Emergency on Planet Earth ⑦Whatever It Is, I Just Can't Stop ⑧Blow Your Mind ⑨Revolution 1993 ⑩Didgin' Out

アシッド・ジャズという言葉が出てきたのは90年代最初の頃。当時はロッキング・オンを愛読していたのでとりあえず言葉は知っていたが、それがどんなものなのかはまったく分からなかった。先週のこのブログでも取り上げられたストーン・ローゼス以降のイギリスのロックバンドには興味を持たず、もっぱら古典的なロックばかりを聴いて過ごしていたからだ。アシッドというぐらいだからクスリでもやりながら踊るタイプのジャズなのかと思ってた気がする。それでもロッキング・オンを読んでいたのは、時々俺の好みにピッタリのアルバムに出会うことが出来るからで、ジャミロクワイの1stアルバムなんかはまさにその典型だった。

「『インナーヴィジョンズ』の頃のスティーヴィー・ワンダーを彷彿とさせるヴォーカル」とアルバムレビューに記載されていて、しかも歌っているのは白人というところに大きな魅力を感じた。白人でスティーヴィーみたいなヴォーカルだと!?って思った俺はすぐにCDを探しに行ってこのアルバムを入手した。ジャミロクワイというなんだか怪獣みたいな名前にジャケットに描かれた謎のキャラ、ロッキング・オンのレビューしか情報が無かったからその時は何から何まで謎めいていた。そして家に帰ってきて早速再生。①を聴いただけで大当たりと確信した。打ち込みやサンプリングがフィーチャーされた音楽にも少々飽きてきた俺には、このアルバムの持つファンクなグルーヴにすっかりやられてしまい、何度も何度も繰り返し聴いた。

当時はこれがアシッド・ジャズという種類の音楽に入っているなんて感覚はなく、ただ単に新しいバンドが出てきた程度の認識だった。打ち込みやサンプリングではなく基本生演奏というのは世の風潮と逆行していたような覚えがあるが、やはり生演奏だよななんて1人納得してた。①のイントロではオーストラリアの原住民の楽器、ディジリドゥが使われていて、その存在は知ってはいたけど音を聴いたのはこの曲が最初だった。②は彼らの代表曲だし、③のファンキーさは今でも好きだ。⑧の前半歌、後半演奏ってパターンは何度聴いてもしびれるし、ディジリドゥをフィーチャーしたインストゥルメンタル⑩で締めるなど、非の打ち所の無いアルバムだと思う。今も彼らの最高傑作ではと思っている。

歌詞も環境問題や社会問題を歌っているストイックさが取り上げられていたが、まあ後にヴォーカルのジェイ・ケイはフェラーリを乗り回していたりで矛盾してるじゃないかなんて言われてたりしていた。でも少なくとも1993年の時点で彼が思っていたことを歌っていたんじゃないかと思う。後にはアシッド・ジャズに留まらない多用な音楽性で大成功をおさめているけど、今ではジェイ・ケイの1人プロジェクトのようになっていて、このアルバムのようなマジックは2度と作れないだろうというのはもしかしたら本人がいちばんよく分かっているかもしれない。(h)

【イチオシの曲】Blow Your Mind
甘いメロウなグルーヴ!8分以上もある長尺ナンバーだが、前半ヴォーカルパートが終わった後、今度はインストゥルメンタルを聴かせてくれるところがクール。そんなやり方が俺には70年代的に思えて今もいちばん好きな曲(70年代的というのは特に根拠はないけどね)。


2012年7月29日日曜日

ザ・ストーン・ローゼズ / ザ・ストーン・ローゼズ


The Stone Roses / The Stone Roses (1989年リリース)
①I Wanna Be Adored ②She Bangs the Drums ③Waterfall ④Don't Stop ⑤Bye Bye Badman ⑥Elephant Stone ⑦Elizabeth My Dear ⑧(Song for My) Sugar Spun Sister ⑨Made of Stone ⑩Shoot You Down ⑪This Is the One ⑫I Am the Resurrection ⑬Fools Gold

青春時代にメタルとグランジの洗礼を受けてしまった俺は、自分とは正反対のスタイリッシュな英国産の音楽を毛嫌いし、泥臭い米国産の音楽の方を好んでいた。その傾向は今でも変わらないが、ロッキング・オンに掲載される情報を有難く拝見していた90年代後半には、ストーン・ローゼズが崩壊していく様を活字と写真で認識していたし、ソロ活動に転向したイアン・ブラウンの99年の来日公演を恵比寿で見ている。その公演のアンコールで演奏された「サリー・シナモン」が俺にとっての初めてのストーン・ローゼズだった。この時、1stアルバム『ザ・ストーン・ローゼズ』が発売されてから既に10年が経っており、ストーン・ローゼズを始めとするマッドチェスターと呼ばれるシーンに対して俺は全くの後追いだった。

その後何度もストーン・ローゼズ再結成の噂が浮上しては否定されてきたが、1stアルバム『ザ・ストーン・ローゼズ』発売から20年以上が経過した2011年、ついに噂が現実となる。長い沈黙を打ち破り活動を再開したマイ・ブラッディ・バレンタインと同様に、このニュースに歓喜した方々は相当数に上るだろう。この再結成に伴うワールドツアーの一環としてフジロック・フェスティバル'12の1日目(7月27日(金))のトリとして登場することが発表された。そしてその7月27日、苗場では数多くの参加者がストーン・ローゼズのTシャツを身に着けており、オフィシャルグッズの販売所では早々にストーン・ローゼズのTシャツが売り切れているのを目の当たりにした。そしてその日の演奏には様々な想いがあっただろうが、10年以上待ったファンに笑顔と感動を与えてくれるものであったに違いない。

今回のストーン・ローゼズのワールドツアーで演奏される楽曲は、ほとんどがこの『ザ・ストーン・ローゼズ』に収録されているもので構成されている。このアルバム1曲目を飾る①は、フジロック・フェスティバルのセットリストでも1曲目に演奏され、本来のアルバムの最終曲であった⑫は、同様にセットリストの最終曲として演奏された。アルバム『ザ・ストーン・ローゼズ』は何度かのリイシューで収録される楽曲にいくらかの違いがあるが、楽曲そのものだけでなくアルバムの流れ、構成も素晴らしいのだ。聴いた人の心だけでなく身体をも揺さぶるグルーヴとメロディがここにあり、ロックでも踊れるということを再認識させてくれる。また、今回の再結成に便乗してこのアルバムに関する本も出版された。2枚のオリジナル・アルバムしかリリースしていないにもかかわらず、この本はストーン・ローゼズというバンドに主眼をおいたものではなくあくまでアルバム『ザ・ストーン・ローゼズ』をフィーチャーしているのだ。このアルバムが後の英国の音楽に与えた影響は計り知れず、20年以上経過した今でも重要な作品として注目され続けている。

レーベルとの確執やメンバー間の不和などにより、バンド自身が『ストーン・ローゼズ』に封じ込めたのと同じマジックが使えなくなり、続く2ndアルバム『セカンド・カミング』は商業的成功を収めることができず、新たなマジックが生まれることもなかった。解散後のメンバーはそれぞれ様々な音楽的活動を続けたが、誰もストーン・ローゼズ以上のマジックを生み出すことはできなかった。完全に後追いの俺がこのアルバムを語るには体験や思い入れが少なすぎるかもしれないが、レニとマニのリズム隊によるグルーヴと、唯一無二のイアンのヴォーカルが歌いジョンが奏でるメロディの組み合わせが生み出すマジックの存在はこのアルバムが証明してくれるし、今日の彼らのライヴでその演奏を聴けば感じることができるはずだ。楽曲そのものに宿ったマジックは今もなお顕在するし、今の時代にも通用するのだから。(k)

2012年7月22日日曜日

ザ・ポリス / アウトランドス・ダムール


The Police / Outlandos d'Amour (1978年リリース)
①Next To You ②So Lonely ③Roxanne ④Hole In My Life ⑤Peanuts ⑥Can't Stand Losing You ⑦Truth Hits Everybody ⑧Born In The 50's ⑨Be My Girl - Sally ⑩Masoko Tanga

中学生の時に「見つめていたい(Every Breath You Take)」がヒットしたことでポリスの『シンクロニシティ』を買った。その後過去のアルバムや楽曲に遡っていったのだが、この1stアルバムが『シンクロニシティ』とはかけ離れたものだったので、まだ若かった俺は少々戸惑った記憶がある。まだパンクという概念も知らなかった頃の話だ。

ポリスというバンドはてっきりスティングのバンドなのかと思ったが、ドラマーのスチュワート・コープランドがスティングを誘う形で結成されたらしい。スティングは元々ジャズ・バンドで活動していて、コープランドはプログレのカーヴド・エアに所属、そして後に加入するアンディ・サマーズにいたっては彼らよりも10歳ぐらい年上でアニマルズに所属していたという。パンクの形態を取り入れたのはコープランドの発想で、パンクが登場した当初はキャリアのあるミュージシャンには否定されていたような印象があるのだけど、それを思うと彼らはパンクを利用してうまいこと流れに乗っかったんだなと思う。

彼らの1977年のデビュー・シングル「フォール・アウト」は典型的なパンク・ナンバーで、ギターは前任のヘンリー・パドゥバーニが参加している。しかしこの曲は翌年の1978年にリリースされた『アウトランドス・ダムール』には収録されていない。もし収録されていたら、アルバムの印象もかなり違ったものになったかもしれない。アルバムの冒頭①や⑦はパンクと呼ぶに相応しい曲ではあるが、全体的には良く練られたポップ/ロックのアルバムという感じが強い。②ではレゲエ風のリズムが加わっていて、⑩もアフロビート的なリズムのジャムセッションで、言葉も何語なのかがわからない。そうかと思うと⑧のようなポップな曲もあるし、⑨にいたってはナレーションも聴ける。こうして見るとかなり多彩なアルバムではあるが、これは恐らくコープランドのリズムの豊富さにあると思う。だけど一聴してパンクと感じるのはスティングの荒々しいヴォーカルがやはり大きいのかなと。なお、彼らの代表曲となる③は売春を、⑥は自殺を助長させるとかでリリース当時はイギリスでは放送禁止となったそうだ。

あえて言うならこのアルバムはジャズやプログレをやっていたミュージシャンが当時のブームに便乗してうまいことやった「似非パンク」。しかしその結果ポリスは世界的成功をおさめることが出来たわけだから、これはまさしく戦略勝ち。今思うとアルバム5枚で活動停止となってしまったのは、もともと明確な音楽性や方向が無かったのかもしれない。そうは言っても彼らのアルバムには駄作は無いし、このアルバムも70年代終わりのパンク~ニューウェイヴ・シーンに燦然と輝く名盤であることには変わりない。(h)

【イチオシの曲】Next To You
冒頭のドラムから入るイントロだけでもカッコいいのだけど、そこからすぐに入るスティングの力んだヴォーカルも、今の彼の作風からすると意外性があって良い。アルバムの1曲目はそのアルバムのカラーを決めると思っているので、そういう点ではこの曲は時代も考えると1曲目に持ってきて当然だし、すごくいい見本だと思う。


2012年7月15日日曜日

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド / プレジャードーム


Frankie Goes To Hollywood / Welcome To The Pleasuredome(1984年リリース)
①The World Is My Oyster ②Welcome To The Pleasuredome ③Relax ④War(...and Hide) ⑤Two Tribes(For The Victims of Ravishment) including The Last Voice ⑥Born To Run ⑦Happy Hi! ⑧Wish (The Lads Were Here) including The Ballad of 32 ⑨Krisco Kisses ⑩Black Night White Light ⑪The Only Star In Heaven ⑫The Power Of Love ⑬Bang
(※現行CDの曲順)

90年代に「2枚組のデビュー・アルバムをリリースして世界中でNo.1にして解散する」なんて大口をたたいてデビューしてきたバンドがいた。そのバンドはセンセーショナルな話題もあったがアルバムが1位になることはなかった。80年代には同じように過激な話題を振りまいて、2枚組のデビュー・アルバムを1位に送り込んだグループがいた。それがフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドである。

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(以下FGTH)は1983年に「リラックス」でデビューした。この曲は日本でもテレビ番組やCMで流れていたことがあるから知っている人も多いかもしれないが、当時は過激な性描写がもとで本国イギリスでは放送禁止となった。そして2枚目のシングル「トゥー・トライブス」も米ソの核戦争をモチーフにした内容だったために放送禁止とかなりのセンセーショナルな登場だった。しかしその話題性が両曲をイギリスのチャートで1位に押し上げ、続く「パワー・オブ・ラブ」も1位となった。さらにはメンバーはゲイを公言し、当時新鋭だったZTTレコードの戦略もあって世界中で注目を浴びる存在となった。そんな彼らが満を持して発表したのが『プレジャードーム』で、イギリス国内では予約だけで100万枚だったかで「ビートルズの人気を超えた」なんて言われたりもしていた。当然このアルバムも1位となりその勢いは止まらなかった。

ZTTレコード特有のサンプリングサウンドやオーケストラルヒットなどの音作りは1980年代のポップ・ミュージックのシーンに変化を与えたことも見逃せない。ZTTレコードは元バグルズ、元イエスのトレヴァー・ホーンらが設立したレーベルで、その初期こそは実験的なものが多かったがABCの「ルック・オブ・ラヴ」のヒットを始めとして、世界中に注目されるレーベルとなった。ただプロデューサー陣が完璧主義者だったため、バンドの演奏をこっそり録音しなおして差し替えるなんてこともしていたらしく、FGTHのアルバムもそれは例外ではなかったようだ。そのためメンバーはほとんど演奏していないとかライヴもテープを流しているだけなどと言われるようになり、バンドの人気も徐々に低下していった。1986年に2ndアルバム『リヴァプール』をリリースしたものの、デビュー時のキワモノ的な部分がすっかりなくなりグループは自然消滅していった。

当時は情報が雑誌からというのがほとんどだったから、そこで書かれていた話題を読むたびにデビュー・アルバムへの期待が大きくなり、2枚組という情報を聞いた時はそれだけで衝撃的だった。アナログレコードのABCD面をFGTH面と表記してあって、F面は13分におよぶタイトル曲がメインとなっていて圧巻だった。「リラックス」や「トゥー・トライブス」はG面に収録されていた。T面にはカバー曲が収録されていたが、今思うとなぜカバー曲なんかを入れたのかその意図は分からない。H面には「パワー・オブ・ラヴ」とその他のオリジナル曲で実は俺はこの面が好きだ。

もしFGTHがその後も活動を続けていたら、デビュー時のインパクトももっと語られていたかもしれいないが、今となっては「80年代」というキーワードの中でだけ語られるもので、ポップ・ミュージックの歴史に残るのは先のシングルとFGTHという名前だけだろう。いくらあの時は凄かったと言ってみても、それが分かるのは俺と同じくリアルタイムで体験した者だけであろうと思うと、不幸なアルバムではある。(h)

【イチオシの曲】Relax
やはりこの曲は外せないと思う。性描写が過激と言われて放送禁止になっていたけど、歌詞の意味が伝わりにくい日本では「リラックス」という単語のみで清涼飲料のCMに使われたりしていた。この曲はシングルだけでなく、いろいろなバリエーションでのリミックスがあって、その手の走りでもあった。ちなみにこの曲のドラムはレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム!そう、サンプリングされているってわけ。当時はそれも驚きだった(俺は後で知ったけど)。

2012年7月8日日曜日

ニール・ヤング / Neil Young


Neil Young(1968年リリース)
①The Emperor Of Wyoming ②The Loner ③If I Could Have Her Tonight ④I've Been Waiting For You ⑤The Old Laughing Lady ⑥String Quartet From Whiskey Boot Hill ⑦Here We Are In The Years ⑧What Did You Do To My Life? ⑨I've Loved Her So Long ⑩The Last Trip To Tulsa

ニール・ヤングはファンを裏切り続けながら40年以上も活躍している。アルバムを出すたびにそのスタイルをコロコロ変え聴く者を惑わせる。80年代には「売れないレコードばかり作り続けている」と、ゲフィン・レコードに訴訟まで起こされている。フォーク、ロック、カントリー、グランジ、ノイズなどその音楽性は広く、その何をやるのか分からないところに惹かれる者も多数いる。俺みたいに。

そんなニール・ヤングは60年代にバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとしてデビュー。しかしメンバー同士の衝突が多く(特にニールとスティーブン・スティルス)アルバム3枚で解散してしまう。早くもバンドでやっていくのは懲り懲りと思った彼はソロ・アルバムを製作し、1968年に発表されたのがこのアルバムだ。後の代表曲となる②やフォークの大作⑩が早くも生まれてはいるが、収録された曲はどれもがこじんまりとしてまだ遠慮がちな面が見られる。その後何十枚とリリースされる彼のアルバムの中でもこの1stアルバムだけがどことなく違うものに感じるのは、アナログLPで言うところのA面B面のそれぞれ1曲目(①と⑥)がインストゥルメンタルだからだろうか?そして若干サイケデリックな雰囲気があるところが他のアルバムと大きく違うところでもあると思う。ライ・クーダーやジム・メッシーナがゲスト参加している点も見逃せない。

なお、このアルバムは1968年にリリースされるも、その音に満足していなかったのか数曲をリミックスしなおして翌1969年に再リリースしている。こんなエピソードがデビュー時からあるなんて、ここ10年ぐらいのアルバムでは必ずと言っていいほどDVDやブルーレイのフォーマットでもリリースしているのも頷ける。

1stアルバムを発表後の彼はバンドは懲りたと思いながらも次作ではクレイジー・ホースをバックに従えたり、スティーヴン・スティルスの誘いでクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングに参加する一方で、3枚目のソロ『ハーヴェスト』が大成功して多くのファンを獲得することになるが、早くもメインストリームにいることに嫌気がさし、その後は新曲だけのライヴ・アルバムや難解なサントラ盤をリリースするなど、まるで「お前らが望むものなんか作らねーよ」と言わんばかりの行為に走る。せっかく掴んだ成功をムダにしていると当時は思われたことだろうけど、彼にはそんなことはどうでも良かったようで、それが現在までの活動の原動力にもなっているのだと俺は思っている。天邪鬼とかひねくれ者って気もするが、音楽に対してはその時にやりたいことをやるという素直な人なんだと思う。そこが俺はたまらなく好きで20年以上も聴いているわけだ。(h)

【イチオシの曲】The Loner
1979年の『ライヴ・ラスト』のソリッドな演奏のほうが断然カッコいいけど、ここでのキーボードやストリングスでアレンジされたバージョンも良い。孤独者?一匹狼?そんなタイトルもニール・ヤングにぴったりだけど、女に去られて死んだも同然みたいな歌詞があるところなんかは男の弱さが歌われているんじゃないかなって思えたりする。


2012年7月1日日曜日

フィオナ・アップル / Tidal


Fiona Apple / Tidal (1996年リリース)
①Sleep To Dream ②Sullen Girl ③Shadowboxer ④Criminal ⑤Slow Like Honey ⑥The First Taste ⑦Never Is A Promise ⑧The Child Is Gone ⑨Pale September ⑩Carrion

今年、7年ぶりとなるアルバム"The Idler Wheel"をリリースしたフィオナ・アップル。すでに16年のキャリアがあるが今回のアルバムはまだ4作目という寡作ぶりで、彼女がデビューしたのは1996年、18歳の時だ。

俺は90年代以降の(そして今もだけど)時流に沿った音楽に疎かったため、フィオナ・アップルを最初に知ったのは2枚目の『真実』がリリースされた時だった。『真実』のギネスブックにも載った長いアルバムタイトル(※Wikipedia参照)に興味を惹かれて聴いてすぐに気に入り、そこから自然と1stアルバムを手に入れたのだけど①のイントロの重さ、そして彼女の低いヴォーカルに圧倒されてアルバムのほんの数十秒で一気に惹き込まれてしまった。これほどまでに声で説得力を感じさせるヴォーカルを聴いたことがなかった。俺はこういうヴォーカルを聴きたかったんだという思いもあったと記憶している。

フィオナ・アップルは歌手の母と俳優の父の娘として生まれた。幼少の時からピアノを弾くようになり、11歳になるころには自作の曲も持っていたらしい。無口な性格で感情を表現する手段がピアノを用いて曲を作ることだと語っていることもあり、表現者としての資質は早くも持っていたのであろう。そして彼女は16歳の時に作ったデモテープを音楽業界の重役の家でベビーシッターをしていた女性に渡したことからデビューのきっかけを得た。こうして発表されたのがこのアルバムであり、6曲がシングル・カットされて全米では300万枚の売り上げを記録したことで彼女は一躍スターダムにのし上がった。しかし彼女の本来の性格と、世間でのパブリックイメージのギャップに悩まされることになり、MTVで賞をとった際のスピーチでは音楽業界を批判する言葉を述べたりして距離を置くようになった。

ここに収められている曲はすべて彼女が実際に体験したことがモチーフになっているのだろう。「他人が歌ったのでは意味を成さないから」と語っているし、②は彼女が12歳の時のレイプ体験がもととなっているとのこと。訳詞を読む限りでは他の18歳の女の子よりもはるかに多くのことを感じ、体験しているように思える。彼女のヴォーカルから放たれる重みや余計な装飾がない音楽を聴いていると、歌手というよりも表現者という言葉のほうが相応しく思えるし、聴くほうもそれなりの体力を必要とする。決して男女がヘラヘラしながら一緒に聴くというタイプの音楽ではないのは確かだ。そしてこの時点ですでに彼女の音楽性は完成されていて、それが証拠に16年間で発表した4枚のアルバムのどれを聴いてもまったくブレがない。

俺が経験していない残念なことのひとつに、このアルバムをリアルタイムで聴いていなかったことがある。そして俺が経験している素晴らしいことのひとつとして、このアルバムを今も聴き続けているということ。そのぐらい出会うことができて良かったと思えるアーチストだ。(h)

【イチオシの曲】Shadowboxer
この曲は昔の恋人への想いが歌われていて、英語だから本質的な部分は分からないのだけどそのやるせなさがものすごく伝わってくる。元恋人の一挙一動を再び受け入れたいけど結局は手が届かないことをシャドウボクシングに例えている曲。もしかしたら彼女の曲の中でも5本の指に入るぐらい好きかもしれない。

2012年6月24日日曜日

スティーリー・ダン / キャント・バイ・ア・スリル


Steely Dan / Can't Buy a Thrill(1972年リリース)
①Do It Again ②Dirty Work ③Kings ④Midnight Cruiser ⑤Only a Fool Would Say That ⑥Reelin' In The Years ⑦Fire In The Hole ⑧Brooklyn (Owes The Charmer Under Me) ⑨Change Of The Gurad ⑩Turn That Heartbeat Over Again

スティーリー・ダンについて語られることの多くは70年代後半の『彩(エイジャ)』や『ガウチョ』、そしてドナルド・フェイゲンの『ザ・ナイトフライ』などのアルバムのことで、フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人が当時の一流スタジオミュージシャンを駆使して作り上げた音やその素晴らしさ、そしてAORの名盤としての視点からがほとんどだが、彼らがロック・バンドとしてデビューしてきたことというのは割りと軽視されている気がする。そんな自分も『ガウチョ』を無人島レコードとして挙げているし、彼らに駄作はないけれどそれでも先に挙げたアルバムを聴くことのほうが圧倒的に多い。しかしそれらの傑作もこの1stアルバムが無かったら生まれなかったわけであって、とりわけ2人がデビューした経緯を知れば知るほどそう思う。

大学時代に出会ったドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーはお互いの音楽センスに惹かれて意気投合して一緒に曲を作り始めた。そしてニューヨークの音楽出版社へ売り込みに行くものの相手にしてもらえず、他のバンドに参加しながらもその下地を徐々に作り上げていった。その時期に出会った一人が後の彼らのアルバムのプロデュースを担当するようになったゲイリー・カッツで、彼がロサンゼルスのABCレコードの専属プロデューサーとなった時に2人をソングライターとして推薦した。ソングライター契約はすぐに無くなってしまうものの、レコーディング・アーチストとして契約できたことでチャンスが巡ってくる。誰も曲を取り上げてくれないなら自分たちでバンドを作って発表しようということになり、下積み時代に知り合ったミュージシャンを集めてスティーリー・ダンを結成したのが1972年のことだ。そのときのメンバーはフェイゲン(vo, kbd)、ベッカー(b)、デニー・ダイアス(g)、ジェフ・スカンク・バクスター(g)、ジム・ホッダー(ds)、そしてデヴィッド・パーマー(vo)の6人だった。

最初のセッションで録音したという「ダラス」(B面は「セイル・ザ・ウォーターウェイ」)をデビュー・シングルとしてリリースするがグループのイメージと違うというレコード会社の判断ですぐに回収された。その後、ゲイリー・カッツをプロデューサーに、ロジャー・ニコルスをエンジニアとして迎えて製作されたのがこの『キャント・バイ・ア・スリル』で、①が全米6位のヒットとなった。後の密室的な音作りとは違って、このアルバムはラテン調やジャズのエッセンスなどを盛り込んだアメリカン・ロックという感じが実によく表れている。①がヒットしたことにより期待のロック・グループとして脚光を浴びることとなった。

しかしフェイゲンとベッカーの2人にとっては自分たちが作った曲が発表できれば良いだけで、アルバム発表に伴うツアーやロック・バンドとして期待されることなんてものは望んでいなかった。2人はひたすら曲を高めていくことにしか興味がなかったようで、このアルバムについても6人編成であるにも関わらず⑥のギターソロでエリオット・ランドールを起用したり、ヴィクター・フェルドマンがパーカッションで参加など、数人のゲスト・ミュージシャンを招いているところなんかは2人の正直な気持ちが垣間見えて面白い。なお、デヴィッド・パーマーはヴォーカリストとして加入していたが、彼がヴォーカルを担当しているのは②と⑧のみで、④がジム・ホッダーがヴォーカル、残りはフェイゲンが歌っている。フェイゲンはヴォーカルをするのが嫌で、良いヴォーカリストがいればすぐにでも加入させたいと言っていたという。

『キャント・バイ・ア・スリル』は大人の事情的な感じで作られた感もあるが、だからといってクオリティが低いわけでもなく、すでにフェイゲンとベッカーのソングライティングが一級品であることを示している。しかしバンドとしてのスティーリー・ダンは長続きせず、次作の前にパーマーが抜け、その後もツアーをしたがらないフェイゲンとベッカーと、ツアーに出たい他のメンバーが対立することになり、グループは徐々に2人のユニットと化していく。そして4作目の『うそつきケティ』からはスタジオ・ミュージシャンの起用が多くなることで以降はそのスタイルを発展させていき、他のバンドがあくまでもバンドにこだわってメンバーチェンジを繰り返しながら存続していく中、彼らはそのバンド幻想を打ち壊していくかのように孤高の存在へと向かうのであった。(h)

【イチオシの曲】Brooklyn (Owes The Charmer Under Me)
デヴィッド・パーマーがヴォーカルを取るカントリー調の曲。歌詞の対訳を見ると何を言っているのかよくわからないけど、ニューヨーク、ブルックリンのショウビズ界の陰の部分を歌っているかのような印象を受ける。ニューヨークで音楽出版社に売り込みに行った際の嫌な思い出なのだろうか?だからフェイゲンは自分で歌わずにパーマーに歌わせたのだろうか?いろいろ勘ぐりたくなる。


2012年6月17日日曜日

キャット・パワー / ディア・サー


Cat Power / Dear Sir (1995年リリース)
①3 Times ②Rockets ③Itchyhead ④Yesterday Is Here ⑤The Sleepwalker ⑥Mr. Gallo ⑦[Untitled] ⑧No Matter ⑨Headlights

アメリカ人女性ショーン・マーシャルが持つもう一つの名前、キャット・パワー。彼女は音楽を創り、演奏し、歌うだけでなく、モデルや女優という肩書きをも併せ持つ。純粋にその音楽に惚れ込んでしまった俺は、彼女の存在感そのものに魅了され続けている。リズ・フェアのオープニングアクトを勤めたという彼女の音楽キャリアの黎明期にまつわるエピソードだけでなく、ソニック・ユースのスティーヴ・シェリー、ダーティ・スリー、エディ・ヴェダー、デイヴ・グロール、ジュダ・バウアー、ベック等々枚挙に暇がないほど数多くのアーティストたちと共演してきた彼女。俺が敬愛して止まないこれらのアーティストからも支持されているという事実も、彼女への興味を増長させる。

そのキャット・パワーの1stアルバム『ディア・サー』は、ティム・フォルヤンとスティーヴ・シェリーをバックに1994年12月、ニューヨークでレコーディングされた。1996年にリリースされた2ndアルバム『マイラ・リー』に収録されている曲も実はこの時にレコーディングされたものであり、この時に生まれた曲たちを振り分け2枚のアルバムが形作られた。2004年に彼女の過去の作品が日本盤でリリースされた際にまとめて入手したという個人的な経緯もあり、俺の頭の中ではこの2枚のアルバムが混ざってしまっている。リリースに時間的な隔たりはあっても、同じサウンドと空気を持っている作品ということなのだろう。②は何故か両方のアルバムに収録されているし。

俺が初めてキャット・パワーの存在を認知したのはアメリカの有力なインディレーベルであるマタドールの2枚組サンプラー『ワッツ・アップ・マタドール?』収録の「ヌード・アズ・ザ・ニュース」を聴いて。ヤられた。んで、後に知ったそのキュートなルックス。2度ヤられた。それから、2003年の初来日公演。3度ヤられた。そしてその公演で知ったのが彼女の表現力の豊かさ。

その時、彼女はザ・ローリング・ストーンズの「サティスファクション」を演奏したのだが、その旋律は全く彼女のオリジナルとなっていた。'I Can't Get No Satisfaction'と歌っているのがわかったにも関わらず、彼女の曲かと思ってしまった。この「サティスファクション」を含む5作目『ザ・カバー・レコード』はそのタイトルが示すとおり中身はカバー曲で構成されているものの、歌詞以外の原型はほとんど留めておらず、オリジナルアルバムと言っても遜色ない大変素晴らしい作品となっている。この『ディア・サー』に収録されているトム・ウェイツのカバーである④も同様で、彼女はそのタイトルである'Yesterday Is Here'というフレーズを口遊むことなく曲は終わってしまう。どこまでも自由な彼女の表現力に平伏せざるを得ない。

この彼女の表現力が発揮されるのは実はカバー曲だけに限らない。2010年の来日公演を見に行った後、ネットで流れてきたその日のセットリストを見て初めて「アイ・ドント・ブレイム・ユー」を演奏していたことを知った俺。俺の大好きな曲なのに演奏されていたことに全く気づかないとは…(涙目)。他人の曲だけでなく、過去の自分の曲ですら今現在の自分のものにしてしまうこのセンス。毎晩同じ曲を演奏しても、過去に縛られることなく音楽を続けていくための彼女の処世術と言い換えることもできるのではないか。

さて最後に、正直に告白するとこの『ディア・サー』よりもセカンドアルバム『マイラ・リー』の方が好きだ。なぜなら『マイラ・リー』には、俺の大好きな曲「アイス・ウォーター」が収録されているから。さらにもうひと言。ウィキペディアによると、彼女は当時のインタビューで『ディア・サー』を1stアルバムではなく、E.P.と位置づけているという発言があったらしい。だとするとこの駄文、本ブログ「1AB」の趣旨から外れちゃうよ…。おしまい。(k)

2012年6月10日日曜日

テレヴィジョン / マーキー・ムーン


Television / Marquee Moon(1977年リリース)
①See No Evil ②Venus ③Friction ④Marquee Moon ⑤Elevation ⑥Guiding Light ⑦Prove It ⑧Torn Curtain

学生の頃、セックス・ピストルズなどのロンドン・パンクが好きだった奴に「これがニューヨーク・パンクだ」と言ってテレヴィジョンの『マーキー・ムーン』を聴かせた。彼は1曲目を途中まで聴いて「全然パンクじゃないよ」と言って聴くのを止めた。

ニューヨーク・パンクをロンドンのそれと同じものとして聴くと音楽的な違いに驚くし、場合によっては上の例のようにパンクじゃないと思うことだろう。リチャード・ヘル&ヴォイドイズやラモーンズのようなロンドン・パンクのお手本になったバンドもいたが、俺にとってニューヨーク・パンクとはパティ・スミスと、このテレヴィジョンに他ならない。ロンドン・パンクが体制への反抗が原動力だったのに対して、ニューヨーク・パンクはショウビジネスにどっぷり浸かったポピュラー・ミュージックに対するアート側からの反抗といった印象を受ける。

テレヴィジョンは1973年に結成され、ニューヨークのCBGBというライヴハウスを拠点として活動を始めた。1975年にはブライアン・イーノのもとでデモ・テープを作成するが、これはメンバーが気に入らずにオクラ入り。再度レコーディングをしなおして1977年に発表されたのがこの『マーキー・ムーン』だ。冷たく、かつ痙攣気味な音色の2本のギターと、トム・ヴァーレインの甲高いヴォーカルはとにかく印象に残ること間違いない。ポップな曲もあるが決してメインストリームに出ることのない、内なるエネルギーを秘めた佇まいが全体を覆っている。パンクというよりは後のニュー・ウェイヴやポスト・パンクのような音でイギリスでは好評だったが、ディスコが主流だった本国アメリカではさっぱりだったようだ。

俺が思うこのアルバムの魅力は、どんなにギターが絡み合って唸ろうが、トム・ヴァーレインがどれだけ声を張り上げようが、感情というものが伝わってこないことだ。良く言えばクールだし、悪く言えばすかしているということになるのだけど、それがそのままニューヨーク・パンクというカテゴリを象徴しているかのようだ。大御所であるイーノのプロデュースを蹴ったり、「ドアーズのいたエレクトラと契約したい」と言ってみたり、挙句の果てにはアルバム2枚であっさり解散しちゃうところなど、どこを取ってもすかしてるんだよ!といつも思ってしまう。でもそれがたまらなく魅力的なのだ。60年代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドと同じ系列に並べて語れる唯一のバンドかもしれないし、その孤高ぶりはやはり彼らの後継がソニック・ユースぐらいしかいないと思えるぐらいのオリジナリティを持ったバンド、それがテレヴィジョンであり、彼らを生んだニューヨーク・パンクだということだ。

ちなみに冒頭で「パンクじゃない」と言った彼はその数ヵ月後に『マーキー・ムーン』のCDを買い、俺に「いいね、ニューヨーク・パンクは」と言った。遅かれ早かれ、彼はそう言うだろうなと当時の俺は思っていた。(h)

【イチオシの曲】Marquee Moon
やはりここはアルバム・タイトル曲を推しておく。10分もある長尺ナンバーだが、一度聴いたら忘れることができないギターリフはもう永遠に語り継がれることだろう。ヴァーレインとリチャード・ロイドの2人のギター・ソロも聴きどころ。かつてパティ・スミスはトム・ヴァーレインを「鶴のように美しい首を持った人」と評したそうだけど、それを某ロッキング・オン誌で「鶴をしめたような声」と言っていて、この曲のヴァーレインのヴォーカルを聴くとついその雑誌のことを思い出してしまう。


2012年6月3日日曜日

ビースティ・ボーイズ / ライセンスト・トゥ・イル


Beastie Boys / Lisenced To Ill(1986年リリース)
①Rhymin & Stealin ②The New Style ③She's Crafty ④Posse In Effect ⑤Slow Ride ⑥Girls ⑦Fight For Your Right ⑧No Sleep Till Brooklyn ⑨Paul Revere ⑩Hold It Now, Hit It ⑪Brass Monkey ⑫Slow And Low ⑬Time To Get Ill

1986年にRUN-D.M.C.が「ウォーク・ディス・ウェイ」をヒットさせたことでヒップ・ホップ/ラップの知名度を一気にメインストリームに持ってきた。俺もこの曲に衝撃を受けて彼らのアルバム『レイジング・ヘル』を聴いたのだけど、若干18歳の白人ロックばかりを聴くようになっていたガキにはまだ難しかったようだ。「ウォーク・・・」はエアロスミスの曲のカバーで、実際にジョー・ペリーがギターを弾いていたこともあってまるでロックそのものだったのだが、アルバムの他の曲はリズム主体で当時の俺にはまだ十分理解できなかった。

その数ヵ月後、今度は白人3人によるヒップ・ホップグループが話題となった。白人がラップということが当時は珍しかったし、まるで悪ガキがふざけているかのような⑦のPVのせいもあって、少なくとも国内では彼らをイロモノ的に扱ったメディアやリスナーの方が多かった記憶がある。もちろん俺もそうだったし、それこそ一発屋で終わるだろうなんて思っていた。だけどデビュー・アルバム『ライセンスト・トゥ・イル』はロックばかりを聴いていた俺をたちまち虜にしてしまった。

何せレコードに針を落とした1曲目のイントロがいきなりレッド・ツェッペリンの「レヴィー・ブレイクス」のドラムである。他にもザ・クラッシュやブラック・サバス、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルといった70年代ロックからのサンプリングが多く、それらはギターリフが多かったからRUN-D.M.C.よりもずっとキャッチーで入りやすかったし、特に3曲もサンプリングに使われていたツェッペリンを夢中になって聴いていた俺が喜ばない訳がない。黒人のようなリズム感は皆無で、もともとはハードコア・パンク・バンドから始めたというだけあってヒップ・ホップな雰囲気は少なく、むしろロックのアルバムといった感じだ。それが功を奏したのか『ライセンスト・トゥ・イル』はビルボードのアルバムチャートで1位になった最初のヒップ・ホップ・アルバムとなった。蛇足だけどバカっぽさもウケた要因じゃないかと思っている。

90年代に入っていくとロックとヒップ・ホップをミックスしたようなバンドが多く出てくるようになったが、このアルバムはある意味その先駆けと言ってもおかしくない。しかしビースティ・ボーイズがそれらのバンドと違うのはロック・バンドとしてではなく、ヒップ・ホップ・グループとしてアプローチしたことだ。2枚目の『ポールズ・ブティック』がリリースされたが3年後の1989年、このアルバムと同じような音を期待されていたのであろうが、しかしサンプリングをさらに多用した王道ヒップ・ホップ・アルバムだったために「なに真面目になってるの」的な雑誌の評価もあったぐらいで商業的には失敗した。だけど俺はこの最初の2枚でヒップ・ホップという枠から抜け出すためのケリをつけたのだと思っている。俺よりも下の世代の人が「ビースティズ最高」というのはその後のオルタナティヴという言葉が出てきた90年代になってからの彼らの音楽性なんじゃないかなといつも思う。そうは言っても『ライセンスト・トゥ・イル』は今聴いても異彩を放っているし、彼らを語る上では決して無視できないアルバム、そしてヒップ・ホップ史上でも間違いなく歴史に残るものであろう。(h)

【イチオシの曲】⑫Slow And Low
この曲はもともとはRun-D.M.C. が『キング・オブ・ロック』のセッションで録音したがオクラ入りしたもので、しかしビースティ・ボーイズはこの曲を気に入っていたとのことでRun-D.M.C.から許可をもらってカバーすることになったそうだ。現在は両者のバージョンを聴き比べることが可能だが、一部のリリックを変更しているだけでほぼ忠実にカバーしているところなんかは彼らのRun-D.M.C.へのリスペクト具合がよく表れていて興味深い。



2012年5月27日日曜日

ジミ・ヘンドリックス / アー・ユー・エクスペリエンスト


The Jimi Hendrix Experience / Are You Experienced(1967年リリース)
①Purple Haze ②Manic Depression ③Hey Joe ④Love Or Confusion ⑤May This Be Love ⑥I Don't Live Today ⑦The Wind Cries Mary ⑧Fire ⑨3rd Stone From The Sun ⑩Foxy Lady ⑪Are You Experienced? ⑫Stone Free ⑬51st Anniversary ⑭Highway Chile ⑮Can You See Me ⑯Remember ⑰Red House
※現行CDの曲順

かれこれ15年以上前の話になるが、当時の仕事で出会った俺よりも5歳ぐらい若い男と音楽の話になった時に彼はこう言った「昔の音楽って聴けないんですよね。聴いていて時々音が聴こえなくなったり、片方だけ小さくなったりするじゃないですか」と。何を聴いてそう思ったのか分からなかったが、その時に俺は「わざとそういう作りになってるんだよ」みたいなことを言ったが彼にはその意図するところがわからなかったようだ。そういう理由で古い音楽を毛嫌いするのはもったいないなと思ったものだ。

俺は10代の頃から60年代、70年代の古いロックにも興味を持って聴いてきたが、ジミ・ヘンドリックスだけはどうも苦手で、アルバムを買っては手放すということを何度か繰り返してきた。でも何が苦手なのかがよく分からないまま40代になってしまった。それが2010年のリマスターで再発されたオリジナルのアルバムを購入してみてその理由がなんとなく分かった。

ジミ・ヘンドリックスがバンドを結成してデビューしたのは1966年、そしてこのデビュー・アルバムをリリースしたのが1967年のことだ。ジャケットの感じからも当時のサイケデリック・ムーヴメントの影響を感じられる。俺がまだ10代の頃は「サイケデリック・ロック」という響きにどことなく惹かれていたけれど、実際にはそれほど好きになれなかった。1960年代の技術だったのだろうけど音を左右にパンするとか、ワウペダルを使った際の音なんかが苦手だったのと、やはりクスリでヘロヘロになってる状態で作られた音ってどこか歪んでるよなって思いがある。そして俺がジミヘンに抱いている印象もよくよく考えるとそういうところに行き着くのだ。例えばこのアルバムに入っている楽曲のいくつかは音が左右に揺れて聴こえるし、それが当時の「サイケデリック」な表現方法の1つだったにしろ、どうにも俺には聴きづらくそれを「音が悪い」と感じていたのではないかと。そう、15年前に会った彼が言ってたことがそのまま俺のジミヘン苦手の理由にもなっていたのだった。

もちろんジミヘンの音楽がそれだけで好き嫌いを決めるほど幅の狭いものではないことは分かっているが、俺にはずっとそういう思いがついてきてしまった。それがどうにか解消されたのが2010年リマスターなのだけど、それは『ボールド・アズ・ラヴ』や『エレクトリック・レディランド』であって、この『アー・ユー・エクスペリエンスト』は今でも若干の抵抗がある。もうこれは音の好みということで片付けてしまいたい。

でも「パープル・ヘイズ」や「フォクシー・レディ」など歴史に残る曲の多くがこのアルバムに収録されているから、そんなことを言いながらもアルバムはよく聴いているという不思議。やはりどこか魅力を感じてはいるんだろうなと自分では思っているし、ジミヘン初心者に勧めるならまずこのアルバムからだろう。(h)


2012年5月20日日曜日

ニルヴァーナ / ブリーチ


Nirvana / Bleach(1989年リリース)
①Blew ②Floyd The Barber ③About A Girl ④School ⑤Love Buzz ⑥Paper Cuts ⑦Negative Creep ⑧Scoff ⑨Swap Meet ⑩Mr. Moustache ⑪Sifting ⑫Big Cheeze ⑬Downer

1990年代初頭に一世を風靡したグランジ。その他の音楽カテゴリと同様、グランジという言葉を的確に定義することは難しい。当時はシアトルを拠点としているバンドというだけでグランジシーンの一部として取り上げられることも多く、ムーブメントの流れに便乗しようと遠路はるばるシアトルに移住してくるバンドすら居たという。

個人的な解釈では、ジャック・エンディーノにより、彼のスタジオであるレシプロカル・レコーディングで録音された当時のサウンドがグランジそのものであると考えている。ジャック・エンディーノの手により創りだされた独特のサウンドは、金銭的、時間的、技術的に限られた環境により必然的に生み出された部分も大きい。にも関わらず、後にフォロワーが登場しそのサウンドを拝借されるまでの存在になろうとは誰が想像できただろうか。同様に当時のバンドのメンバーたちの着の身着のままの古着からグランジファッションなるものが誕生し、高級なアパレルブランド製のネルシャツが登場するなんて悪い冗談にしか思えない。グランジの定義についてもうひとつ条件を付けさせてもらえば、シアトルのインディレーベル「サブ・ポップ」からリリースされた作品であるということも重要かもしれない。

この個人的な狭義のグランジという定義の条件を満たしている作品の一つが、ニルヴァーナのデビューアルバム『ブリーチ』である。ここに収録されているカート・コバーン(当時の綴りはKurdt Kobain)の作った楽曲たちは、大ブレイクしたメジャーデビューアルバム『ネヴァーマインド』に比べればポップではないし、音は汚く、演奏レベルもそう高くはない。しかし、初期衝動的な勢いに頼るだけでなく、人の心を惹くフレーズが必ず用意されている。

その中でも特に、他の重苦しい楽曲と比較して圧倒的にポップなメロディを持つ③は代表曲の一つといっても遜色ない出来栄えだが、大衆性を帯びたこのキャッチーさは保守的なインディペンデントシーンには難色を示す者も居ただろう。また、サウンドが一丸となってドライヴする⑦の歌詞'Daddy's Little Girl Ain't Girl No More'は、マッドハニーの曲「スイート・ヤング・シングス・エイント・スウィート・ノー・モア」のパクリだと非難されたこともあるらしい。デビューシングルのA面となった⑤は、ショッキング・ブルーのカバー。グランジやオルタナティヴといった言葉が一般的になる前の当時のシーンやレーベルは、ニルヴァーナがマッドハニー以上の存在になるとは考えていなかったようだ。

カート・コバーンは結局3枚のオリジナルアルバムを残して94年に自殺してしまう。『ネヴァーマインド』のブレイクでインディペンデントシーンからセルアウトしたと思われていることや、自分が敵視していた存在(教師やレッドネックといった歌詞に登場する人物たち)がニルヴァーナのファンになるという歪み、そしてその結果、自分の居場所がなくなってしまったこと。これらが自殺の原因の一部であろうことは想像に難くない。ファンの存在が負担になっていたとは、ファンにとってはとても悲しいことだ。売れたい/売れたくないという相反する感情、大衆性と芸術性の両立、他人の評価をいちいち気にしてしまうセンシティヴな人物にロックスターは務まらなかった。

このアルバムのリードトラックである①の終わりで繰り返される'You Could Do Anything'というフレーズ。この曲を聴く度に、俺にも何かできたんじゃないだろうかと自問自答してしまう。(k)

2012年5月13日日曜日

セックス・ピストルズ / 勝手にしやがれ!!


Sex Pistols / Never Mind The Bollocks Here's The Sex Pistols(1977年リリース)
①Holidays In The Sun ②Bodies ③No Feelings ④Liar ⑤God Save The Queen ⑥Problems ⑦Seventeen ⑧Anarchy In The U.K. ⑨Sub Mission ⑩Pretty Vacant ⑪New York ⑫EMI

5年ぐらい前のことになるが、レコード・コレクターズ誌で行われた「70年代ベストアルバム」という企画があった。編集部の人たちが得点をつけて選出したものだが、そこで1位になったのがセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』だった。俺もその結果は当然だろうと思っていたのだけど、某SNSではその結果に不満の声が上がっていた。曰く「パンクなんて流行り病みたいなのが1位なんて納得いかない」と。

パンクを理解しない人から見たパンクの印象は、演奏が下手、がなってるだけ、幼稚、くだらないもの、みたいな感じなのだろう。恐らく「納得いかない」と言った人もそういう思いがあったかもしれない。音楽をいろいろと聴いて知ることが多くなると、パンクってものはあまりにも稚拙で否定したくなるものなんだろうね。

ちなみに俺はその某SNSで反論をしておいた「ピストルズの1位には納得です。パンクが流行り病だとしても、60年代後半から70年代半ばまでの巨大化してきたロックの流れをリセットしてしまったんですから。音楽だけでなく、若者の文化までも変えてしまったという点では後世に最も影響を与えていると思っています」と。パンクが登場したのはまさにそういう頭でっかちな音楽思想へノーを突きつけたようなものだと思う。

『勝手にしやがれ』はセックス・ピストルズの唯一のアルバムである。いわゆる音楽通な人たちがどれだけ否定しようがピストルズの存在や言動も併せてこのアルバムがロックの歴史に残ることは揺るぎの無い事実だ。シングル4枚とアルバム1枚でロックの歴史にかなりのスペースを占めるほどのインパクトを残したグループって他にいるだろうか?初期衝動的な部分を見たらビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』と同じインパクトがあると思うのだけど、ビートルズは良くてピストルズがダメだという人がいるならその理由を教えて欲しいぐらいだ。いや、めんどくさいから聞くつもりはないし、パンクを否定する奴とは話をするつもりもないけどね。それこそ『勝手にしやがれ』だ。(h)


2012年5月6日日曜日

ザ・ビートルズ / プリーズ・プリーズ・ミー


The Beatles / Please Please Me(1963年リリース)
①I Saw Her Standing There ②Misrey ③Anna(Go To Him) ④Chains ⑤Boys ⑥Ask Me Why ⑦Please Please Me ⑧Love Me Do ⑨P.S. I Love You ⑩Baby It's You ⑪Do You Want To Know a Secret ⑫A Taste Of Honey ⑬There's a Place ⑭Twist And Shout

ビートルズは1962年10月に「ラヴ・ミー・ドゥ / P.S.アイ・ラヴ・ユー」でデビューし、続く63年1月には「プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ」がヒットしたことによって急遽アルバムを作ることとなった。しかし彼らに与えられた時間はわずか1日で、当時のイギリスのLPレコードは14曲入りが定番だったから、先のシングルを収録してもあと10曲は必要だった。新人バンドで予算やスタジオの都合もあったかもしれないが、アルバムの録音だ!今日だけしか時間取れないぞ!10曲必要だからな!と無茶ぶりされているかのような状況だったのに彼らはそれをやってのけた。10曲を10時間で録音し終えたのだ。

俺はこのエピソードを知って以来、デビューアルバムである『プリーズ・プリーズ・ミー』の聴き方が変わった。それまではアイドル視されていた時代のポップ・アルバムだと位置づけていたのを、ライヴ感溢れるロックン・ロール・アルバムだと感じるようになったのだ。ちょっと裏話を知ったぐらいで単純だなと思うかもしれないが、実際に俺の中ではそう変わったのだから仕方がない。

そう思うようになった理由はやはり「1日でレコーディングをした」というところに尽きる。「曲はどれぐらいある?」とプロデューサーのジョージ・マーティンに聞かれた彼らはデビュー前に数多くこなしてきたライヴのレパートリーを用意し、当時はまだ2トラックの機材だったから楽器ごとの録音ではなく「せーの」で行っていたのだから、ほとんどスタジオライヴの様相だったに違いない。そしてジョン・レノンは当日酷い風邪をひいていたようで、彼の歌う曲は少し鼻にかかった感じにも聴こえる。

ジョージ・マーティンはビートルズがデビュー前にライヴを行っていたキャヴァーン・クラブでの熱気をアルバムに再現しようとしたらしい。そのためにレコーディングは1日しかないと言って、彼らのテンションを高めて臨んだのではないかなとか思ってしまう。実際にアルバムはライヴ感に満ちているし、オーバーダブもほとんど無いから「素」の彼らを感じることができる。まだアイドル視される前の彼らの、ライヴ・バンドとして積み上げてきたキャリアの集大成でもあると思っている。(h)

※この「ライヴ感」はモノラル盤のCDじゃないと感じられない、2009年にリマスターされた際にはステレオ盤となってしまっているのが残念。

2012年5月4日金曜日

レッド・ツェッペリン / Led Zeppelin


Led Zeppelin (1969年リリース)
①Good Times Bad Times ②Babe I'm Gonna Leave You ③You Shook Me ④Dazed And Confused ⑤Your Time Is Gonna Come ⑥Black Mountain Side ⑦Communication Breakdown ⑧I Can't Quit You, Baby ⑨How Many More Times

自分の30年ぐらいにわたる音楽リスナー歴で、最も衝撃を受けたのがレッド・ツェッペリンのこのアルバムである。

中学生の頃(1980年代前半)は全米ヒットチャートで流行っている曲を探しては聴いていたのだけど、雑誌などで過去の名盤特集のようなものを見るようになり、そこから古いロックやポップへ興味を持つようになった。しかし中学生の小遣いではレコードなどそうそう買えるわけもなく、もっぱらFMで録音したテープを聴いていた。ちょうどその頃、レンタルレコードというものが出現しはじめて、高校生になった俺もあるお店の会員になった。そこで聴いてみようと思って借りたのがレッド・ツェッペリンの最初の2枚だった。

俺の記憶では最初にセカンドアルバムを聴いたのだけど、それは「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」をすでに知っていたからだ。当時のツェッペリンの印象としては、ヒットチャートで流行った曲とは作りが明らかに違っていてすごく独特なものを感じていた。よく「ハードロックの元祖」的なことを言われるが、そんな狭い括りでは表現できない多彩な曲が並んでいると思った。

それは1stアルバムに顕著に出ていて、①はあいさつ代わりの小品といったところだが、②ではアコースティック・ギターなのにハードな雰囲気を出し、③はブルースのカバーで、ジェフ・ベック・グループも取り上げていた曲。そして間髪入れずに④へ流れるがこの重さが当時から凄く好きだ。アナログではここまでがA面で、最初の曲以外はすべて6分台という大作ばかり。そしてB面にあたる⑤は教会風オルガンが印象的で、続く⑥はインドっぽいインストゥルメンタル。インドといってもビートルズみたいにシタールを使うのではなく、パーカッションがインド的。⑦は速さやギターのリフから、今のヘヴィ・メタルにも通じるものがある。⑧は再びブルースで、俺はこのアルバムでブルースっていうものがどういうものかを感じた。ラストの⑨はアルバム中最も壮大でハードな展開で突っ走る。そんな9曲が収められていた。

俺がこのアルバムのどこに惹かれるのかというと、それはロバート・プラントのヴォーカルだ。シャウトする高音とその声量がアルバムの多彩な楽曲のどれにもぴったりはまっていることに初めて聴いた時は驚きだった。ハードロックの歌唱の元祖でもあるし。そして聴く前までは単なるハードロックの1バンドに過ぎないだろうと思っていたのに、1stアルバムを聴いただけで世界最高峰のバンドだと確信した。若かりし頃のこととはいえ「単なる」などと思ったりして、今思うと土下座ものだ。

すでにその音楽スタイルは1stアルバムをもって完成していて、ジミー・ペイジも「すべてが1stにあって、後のアルバムはそれをどう展開させていくかだけだった」というようなことを言ってるのを読んだことがある。恐らくアルバム1枚でバンドが終わっていたとしても、これは永遠に聴き継がれるだろうと思っているし、少なくとも俺の中では史上最も優れたロック・アルバムである。俺のロックの基準を作ったとも言えるものだ。(h)