2013年2月24日日曜日

ザ・ブリーダーズ / ポッド


The Breeders / Pod (1990年リリース)
①Glorious ②Doe ③Happiness Is a Warm Gun ④Oh ⑤Hellbound ⑥When I Was a Painter ⑦Fortunately Gone ⑧Iris ⑨Opened ⑩Only in 3's ⑪Lime House ⑫Metal Man

「ザ・ケリー・ディール6000」というバンド名が好きだ。ザ・ピクシーズの紅一点キム・ディールの双子の姉妹ケリー・ディールが、薬のリハビリ施設から出所した後に結成したバンドである。90年代中ごろ、音楽雑誌のレビューでその存在を知り、そのバンド名のインパクトのみで俺の脳の記憶領域の一部を占拠するも、未だにその音は聴いたことがないし、聴こうとするモチベーションもない。このまま順調に行けば、「6000」が何を意味するかも知ることなく俺は死んでいくのだろう。

ここまでで今回言いたかったことの半分は伝えられたと思う。ここからはおまけ的にザ・ブリーダーズの1stアルバム『ポッド』について書いてみる。本来ならブリーダーズのおまけがケリー・ディール6000のはずで、とか何とか言ってもディール姉妹にはどちらにせよ失礼なこと書きました。ゴメンなさい。

ブリーダーズは、キム・ディールと、スローイング・ミュージズのタニヤ・ドネリーにより、彼女たちのサイド・プロジェクトとして結成された。タニヤはブリーダーズが2ndアルバムをリリースするまでには脱退し、自身のバンドであるベリーに活動の軸を移していく。キムとタニヤは、ピクシーズやスローイング・ミュージズでは自分のやりたいことができない不満を解消するために自分のバンドを組み、その才能を世に知らしめた。その第一歩がこのブリーダーズの1stアルバム『ポッド』だった。

ブリーダーズと言えば、やはり名曲「キャノンボール」を収録した2ndアルバム『ラスト・スプラッシュ』が有名だろう。この頃には、冒頭紹介したキムの双子の姉妹であるケリーもブリーダーズの一員として参加している。スパイク・ジョーンズ(とキム・ゴードン)の手による「キャノンボール」のPVも素晴らしい出来栄えだ。オルタナ全盛期においても、これほど素敵なアルバムはそうそうあるものではない。そんな瑞々しい2ndアルバムに対し、この1stアルバム『ポッド』はより内向的であり、乾燥気味な堅めのサウンドがたまらない逸品になっている。その主犯はもちろん、ピクシーズの1stアルバム『サーファー・ローザ』も手掛けたスティーヴ・アルビニだ。

ブリーダーズを初めて聴くという方には、誰もが2ndアルバム『ラスト・スプラッシュ』を勧めるだろう。だがピクシーズの『サーファー・ローザ』やニルヴァーナの『イン・ユーテロ』なんかが好きでブリーダーズを未聴という方が居れば、是非この『ポッド』を聴いてみて欲しい。けど、決して万人に勧められるものではない。キムの歌は上手い下手かで言えば下手かもしれないけど、ちょっとうるさくて、とても自由で、魅力的。曲の構成はフラフラと好き勝手に展開するようでいて、フックがありポップ。一発録りしたようなバンドサウンドは、とてもシンプルでコンパクトで、数も多くない音の隙間具合がたまらなく気持ちいい。このちょっと物足りなさを誘う感じ、寂しい雰囲気や音作りは、スティーヴ・アルビニの手腕によるものだろう。

中でも俺が好きな曲はまず③。ブリーダーズのオリジナルの楽曲ではなく、ビートルズのカバーを選んでしまって申し訳ないんだけど、原曲よりも展開の強弱が極端でカッコいい。'Mother Superior jump the gun'と力強く歌い切った後、控えめのギターと、囁くように歌う'Happiness is a warm gun'のフレーズの余韻がたまらない。あとは⑧の泣きのギターとキムの声がとてつもなく好きだ。

冒頭、ケリー・ディール6000に関してこれ以上何かを知ることはないだろう、という趣旨のことを書いた。同様にブリーダーズについても、この『ポッド』のジャケットに写ってるものが何なのかを知ることなく俺は死んでいくのだろう。蛇足だが最後に、この『Pod』はニルヴァーナのカート・コバーンが自分の人生に影響を与えた一枚として取り上げていることを記しておく。(k)





2013年2月17日日曜日

フリートウッド・マック / ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック


Fleetwood Mac / Peter Green's Fleetwood Mac(1968年リリース)
①My Heart Beat Like A Hammer ②Merry Go Round ③Long Grey Mare ④Hellhound On My Trail ⑤Shake Your Maneymaker ⑥Looking For Somebody ⑦No Place To Go ⑧My Baby's Good To Me ⑨I Loved Another Woman ⑩Cold Black Night ⑪The World Keep On Turning ⑫Got To Move

学生の頃、貸しレコード屋で何を借りようかを物色しているときに、フリートウッド・マックのコーナーが目に入った。当時まだ『ミラージュ』しか聴いていなかったけど、彼らの音楽が好きだった俺は、何か借りようかなとレコードを引っ張り出してみると、出てきたのが女装をして驚いたような顔のしているオッサンのどアップ写真のジャケット。え?ちょっとちょっと、何このウザいオッサンのジャケット!とビックリした俺はそのレコードを戻したのは言うまでもない。当時は、前回のスティーヴィー・ニックスのところでも書いたけど、フリートウッド・マックというのは女性2人、男性1人のヴォーカリストを擁するポップ・グループだと思っていただけに、それに似つかわしくないジャケットに戸惑ってしまったのだ。それは『英吉利の薔薇』とタイトルのついたアルバムだった。

確かその直後ぐらいに知ったのだが、フリートウッド・マックのデビュー時はブリティッシュ・ブルースのバンドで、俺が知っているポップ・バンドとは全くの別物だったらしい。後にサンタナがヒットさせた「ブラック・マジック・ウーマン」のオリジナルをやってるとか、「アルバトロス」という曲がヒットしたということを知ったが、その頃はネットなんて無かったから、FMでオンエアされるのを待つか、レコードを買うしかなかった。でもそれらが入っている『英吉利の薔薇』はどうも買う気にはなれなかったから、結局初期のマックを聴く機会はないまま来てしまった。

その『英吉利の薔薇』というアルバムはアメリカ向けの2ndアルバムで、日本でのデビュー・アルバムでもあったのだが、イギリスで最初にリリースされたのが今回紹介する『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』なのである。ジョン・メイオールのブルースブレイカーズにエリック・クラプトンの後釜として加入したピーター・グリーンが、このグループ脱退の後に同じく脱退したミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーらと新しく結成したのがフリートウッド・マックで、他のバンドで活動していたジェレミー・スペンサーを加えた4人でスタート。1968年という年はイギリスではブルースがブームとなっていたようで、このデビュー・アルバムも好評のうちに迎えられたとのこと。アルバム・タイトルからピーター・グリーンがリーダーのようだが、曲はグリーンとジェレミー・スペンサーがそれぞれ作り、他にはロバート・ジョンソンやエルモア・ジェイムスのカバーなどが収録されている。

この時期のブルース・ロックだと、例えばクリームみたいなインプロヴィゼーションが入っているのかと思ったが、そういうものはなく、グリーンとスペンサーによるギター・バトル的なものもない。割とシンプルな構成となっていて俺は聴きやすいのかなと思う。気に入っているのはスペンサーの曲中での「イエイ!」とか「アオッ!」みたいな掛け声とスライドギター。これが荒々しさを出していてカッコいい(①⑧⑩など)。一方でグリーンによる曲(②③⑥など)はブルースにプラスアルファをしたような、その時代の空気も加味されている印象を受ける。両者の個性の違いが分かりやすいが、アルバムの統一感はしっかりしていると思う。

グループは順調にスタートしたようだが、「アルバトロス」というブルースとは言えないインストゥルメンタルの曲がヒットしたことで徐々に変化が起こっていく。ピーター・グリーンが脱退し、さらにはジェレミー・スペンサーも失踪してしまう。ここからフリートウッド・マックはメンバーの入れ替わりを繰り返し音楽性もフォーク調やらポップなものに変化していく。時期によってまったく違うバンドなのがフリートウッド・マックで、バンド名にもなっているミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーの2人がリズム隊として何十年もバンドを支えているところも面白い。俺はボブ・ウェルチ時代のアルバムを未だ聴いたことがないのだが、やはり押さえておくべきなんだろうね。言い忘れたけど『英吉利の薔薇』の女装オッサンって、ミック・フリートウッドなんだってね、最近知ったよ(ジャケ写真はタイトルをググってみてください)。(h)

【イチオシの曲】My Baby's Good To Me
スライドギターと粗い歌い方、ジェレミー・スペンサーのスタイルが気に入ってしまった。失踪したのはカルト宗教に入ったからとか言われているが、今も健在なのかな?




2013年2月10日日曜日

スティーヴィー・ニックス / 麗しのベラ・ドンナ


Stevie Nicks / Bella Donna(1981年リリース)
①Bella Donna ②Kind Of Woman ③Stop Draggin' My Heart Around ④Think About It ⑤After The Glitter Fades ⑥Edge Of Seventeen ⑦How Still My Love ⑧Leather And Lace ⑨Ouside The Rain ⑩The Highwayman

映画『スクール・オブ・ロック』で舞台となる小学校の、堅物な女校長がバーで流れる⑥に酔った勢いで踊りだし、若いころに観たスティーヴィー・ニックスのライヴが最高だったと話すシーンがある。俺はこのシーンが実によくできているなと思ったのだけど、今の40代50代の人、特にアメリカではスティーヴィー・ニックスの存在はかなり大きかったんじゃないかと思うからだ。70年代にフリートウッド・マックに参加し、瞬く間にバンドの看板的存在となった彼女は多くの人にとってはある意味青春だったんじゃないかと。俺も80年代では好きな女性シンガーのひとりだったし。

70年代初頭に、恋人だったリンジー・バッキンガムとバッキンガム・ニックスというデュオで活動していたが、彼らの曲を聴いたミック・フリートウッドが自身のバンド、フリートウッド・マックに誘い込んだ。話によると当初はリンジーだけに声がかかったそうだが「スティーヴィーも一緒じゃなきゃ入らない」と言ったとかで2人そろっての加入となったらしい。このことが無かったらきっとスティーヴィー・ニックスという人は日の目を見なかったことだろう。2人が入ったフリートウッド・マックは音楽性がさらにアメリカナイズされたことにより一躍スーパーバンドとなる。特に「妖精のような」と形容されたスティーヴィーはすぐにバンドの顔となり1977年の『噂(Rumors)』では大ヒットを記録した。その後、彼女はソロ・アルバム用のデモの録音を始め、2年かけて創り上げていったのがこの『麗しのベラ・ドンナ』ということになる。

このアルバムではフリートウッド・マックのメンバーはまったく関与しておらず、トム・ペティやイーグルスのドン・ヘンリーなどがゲストとして参加している。俺が最初に聴いた彼女のアルバムは2枚目の『ザ・ワイルド・ハート』と3枚目の『ロック・ア・リトル』で、いかにも80年代の打ち込みやシンセサイザーが入った流行りの楽曲が並んでいたが、このアルバムではオーソドックスなアメリカン・ロックを聴くことができる。その中でもロック・タイプの⑥は代表曲であって、俺もかつて「ベスト・ヒット・USA」で見たライヴ映像でこの人に惹かれてしまったことを思い出す。当時の彼女のルックスや衣装などを含め「妖精のような」と言われたその存在感に圧倒された。ついでにあのハスキー・ヴォイスというかダミ声にも(笑)。

しかしフリートウッド・マックのアルバムでは数曲しか聴けない彼女のヴォーカルに物足りなさを感じるのに、いざこうして彼女のソロ・アルバムを聴くと、クリスティン・マクヴィーやリンジー・バッキンガムの曲が恋しくなるのはやはりあのバンドの持つマジックというものなんだろうか?もちろん彼女にも才能があるのは分かっているけど、シングル・ヒットした③や⑧はそれぞれトム・ペティとドン・ヘンリーとのデュエット曲で、グループや共演者によってさらに輝く人なんじゃないかと思う。そう考えると、人間関係がぎくしゃくしていた当時のフリートウッド・マックを脱退しなかったのもそういうことだったのだろう。

ところで、やはりこれは触れておかないといけないと思うのだが、妖精のようなという形容詞は間違っていないし、実際に美しい人であると思うけど、あのハスキーというかダミ声ヴォーカルは何でそんな喉つぶれているのって思っちゃうし、マック時代はコカイン中毒で苦しんでいたなんて話を聞くと結構アバズレだったんじゃないかって思ってしまうよね。でも実はいいところのお嬢さんだったようだけど、そのバランスがまた唯一無二の存在となんじゃないかと思う。(h)

【イチオシの曲】Edge of Seventeen




2013年2月3日日曜日

ガービッジ / G


Garbage / Garbage (1995年リリース)
①Supervixen ②Queer ③Only Happy When It Rains ④As Heaven Is Wide ⑤Not My Idea ⑥A Stroke of Luck ⑦Vow ⑧Stupid Girl ⑨Dog New Tricks ⑩My Lover's Box ⑪Fix Me Now ⑫Milk

「機械でリズムを取る音楽はロックじゃない。」

何年も前、そんな物言いをしているミュージシャンの記事を読んだ。誰の発言なのか裏を取りたくて先ほどネット上で検索してみたが、該当するソースを見つけることはできなかった。残念。同じ頃、メタリカが「ジャスト」なサウンドを求めているという旨の発言をしたと記憶している。レコーディングでもライヴでもイヤホンから聴こえるクリック音を頼りに、正確なリズムを刻むバンドはたくさんいるだろう。ドラムマシーンのように人間が叩いていないものは勿論、人間が叩いていても機械に頼った音楽はロックではない。先のミュージシャンはそうディスっていた。俺の記憶が確かなら。

ドラムマシーンだかシーケンサーだかサンプラーだか知らないけど、機械的で正確なリズムが生理的にダメだった。テクノだかハウスだかジャングルだかドラムンベースだか知らないけど、非リアの俺がオシャレ感漂う音楽を俺が苦手としていただけだ、という見方も見当外れではない。単純に打ち込みってヤツに対して免疫がなかったのだろう。もう20年くらい前の話。

ガービッジを初めて耳にしたのは、tvk(テレビ神奈川)で木曜夕方5時から放送されていた音楽番組「Bubblegods」で流されたPVだった。落ち着きのない俺は大人しく黙ってラジオを聴くなんてことはできないが、映像と共に音楽が流れてくるPVを見て聴くことは大好きだった。活字を読むことも苦ではないため好んでいくつかの音楽雑誌を講読していたが、音楽そのものは置いてきぼりでその他の情報だけで頭でっかちになっていた嫌いが多分にあった。PV、もっといえばtvkはそれをいくらか緩和してくれる貴重な情報源だった。

ガービッジがデビューした1995年、「あの『ネヴァーマインド』をプロデュースした」ブッチ・ヴィグが組んだバンド、ということで、ニルヴァーナが大好きだった俺は避けて通るわけにはいかなかった。tvkを介して②、③、⑧や⑫のPVを見て⑧のキャッチーさが気に入った。③のシングルCDを購入してみたが、3曲目に入っていた'Sleep'という曲のドラムパターンの繰り返しが耳触りで我慢できず、ガービッジに対する興味がなくなってしまった。「こんなのロックじゃない」的な中二病を拗らせ、当時の俺はガービッジの音楽を受け入れなかった。どうしても打ち込みのループが気持ち悪かった。メタル上がりでオーソドックスなロックしか聴いてこなかった耳には刺激が強すぎたのか。俺がニューウェーヴあたりを通過していればこんなことにはならなかったかも。

その後、色々な音楽を耳にしていくうち、ここまで書き殴ってきたような打ち込みに対する抵抗感は全くなくなっていった。大嫌いだった'Sleep'は、今でも大好きな一曲だ。そして1998年の夏、豊洲の埋立地で開催された第2回目のフジロックフェスティバル。2ndアルバム『ヴァージョン2.0』を引っさげ、ガービッジはまだ日の高いうちにステージに登場した。ブッチ・ヴィグのたたくドラムがエアっぽい気もしたが、そんな細かいことはどうでも良かった。爬虫類みたいな顔してるけど、俺はシャーリー・マンソンに恋した。3人の(おっさん)プロデューサーと紅一点のシャーリー・マンソンの奏でる曲は奇を衒うようなことはぜず、どの曲もポップ・ミュージックとして大変優秀な出来栄えだと思う。悪く言えばどこを切っても同じ。金太郎飴状態。1st、2ndで俺のシャーリー・マンソン、いやガービッジに対する恋は終わっていた。熱しやすく冷めやすい。

俺が続く3rdアルバムや4thアルバムを手にするのは21世紀も10年以上が経過してから。ブックオフでそれぞれ105円で購入した。5thアルバム『ノット・ユア・カインド・オブ・ピープル 』を引っさげ、2012年にはサマー・ソニックのステージに立つも俺はその場にいなかった。

俺を振り向かせるような活躍をしてくれる日が来ることを期待せずに待ってるよ。(k)