2013年6月23日日曜日

ラモーンズ / ラモーンズの激情


Ramones

Ramones(1976年リリース)
①Blitzkrieg Bop ②Beat on The Brat ③Judy Is A Punk ④I Wanna Be Your Boyfriend ⑤Chain Saw ⑥Now I Wanna Sniff Some Glue ⑦I Don't Wanna Go Down To The Basement ⑧Loudmouth ⑨Havana Affair ⑩Listen To My Heart ⑪53rd & 3rd ⑫Let's Dance ⑬I Don't Wanna Walk Around With You ⑭Today Your Love, Tomorrow The World 他ボーナストラック8曲

ラモーンズについて誰もが最初に持つであろう印象は「曲がみんな同じに聴こえる」だと思う。「ワン・トゥ・スリー・フォー」のカウントでダダダダーッと始まって同じようなリフで速くてすぐ終わっちゃうんだから。だけどそれを21年もやってきたわけだ。そんなに長くやっていれば多少の方向転換もするだろうに、ラモーンズはひたすら同じことをやってきた。もっと細かく見ればほんの少しは変化をつけてるなってのはあるけど、そんなことは正直どうでもいい。ラモーンズは偉大なるワンパターンを貫いてきた。それだけでも手放しで絶賛したい。

そんなラモーンズの印象はこの1stアルバムですでに決定づけられている。3分を超える曲がないので、オリジナルのアルバムは14曲入っていても収録時間は30分足らず。油断しているとすぐに聴き終わってしまう。曲について「速い」と書いたが、ハードコア・パンクの速さには及ばないのは言うまでもない。しかし70年代でこれだけ速いテンポの曲を立て続けにやるバンドというのはいなかっただろう。そしてそれらはキャッチーなメロディの曲が多いから立て続けに曲をやられても何の曲かだいたい分かるというところもすごい。ただ、このアルバムは若干音がスカスカで軽い感じがする。俺はもっと重いものを求めていたから、ラモーンズ自体あまり熱心に聴かずに歳をとってしまった。今は曲が短くてシンプルでキャッチーなところがものすごく好きなんだけど。

今だから正直に告白すると、かつて俺はラモーンズって兄弟でやっているのかと思っていた。だってしょうがないだろ、みんな苗字がラモーンなんだからw まさかそういうコンセプトとは思いもしなかったし、それを知ったときは笑ってしまった。しかもメンバー皆が革ジャンにジーンズという格好で統一していて、誰が何ラモーンなのかとかチンプンカンプンだったし、そもそも俺はジョーイ・ラモーンしか名前を認識していなかった。しかもその格好といい、ジョーイの長髪なんかのむさ苦しさも加わって、いったいどこからラモーンズに入っていけばいいのやらという感じだった。それら全部ひっくるめてカッコいいのに、俺は何で10代20代でそれに気づかなかったのだろうと思う。

『ラモーンズの激情』はその後続く偉大なるワンパターンの始まりであり、多くの人が影響を受けたと思う。あまりにも有名な①は遠藤ミチロウがザ・スターリンの「豚に真珠」で似せているし、②はソニック・ユースとU2が、⑨はレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、そして⑪はメタリカがというように、ほかにも多くのミュージシャンがこのアルバムの曲をカバーしている。①はもちろん好きな曲だが、俺は⑬と⑭の盛り上がり方が好きだ。そして面白いなと思うのは、曲名を見ると"I Wanna ~"とか"I Don't Wanna ~"という曲名がいくつかあること。これはこのアルバムだけでなく、以降のアルバムにも度々でてきて、どんだけ「○○したい」とか「○○したくない」なんだよって思ってしまう。しかしそのストレートな言い方が俺は好きだ。

今はジョーイもジョニーもディーディーもこの世にいない。ひたすら同じスタイルで突き進むというのはある意味濃いのだろうから、やっぱり濃い人生を送った人ってのはあっという間に逝ってしまうのかなと思ったりする。(h)

【イチオシの曲】Blitzkrieg Bop
やはりラモーンズといえば「電撃バップ(邦題)」でしょう。ヘイ・ホー・レッツゴー!



2013年6月16日日曜日

エアロスミス / 野獣生誕


エアロスミス / 野獣生誕

Aerosmith / Aerosmith(1973年リリース)
①Make It ②Somebody ③Dream On ④One Way Street ⑤Mama Kin ⑥Write Me a Letter ⑦Movin' Out ⑧Walkin' the Dog

エアロスミスを初めて認識したのは、テレビ朝日系列のテレビ番組『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」で聴いた「八ッつぁん 入れ歯のじじい♪」という作品にて。これは、1987年リリースの9thアルバム『パーマネント・ヴァケイション』収録の「ラグ・ドール」の歌詞'Hot time get it while it's easy'が空耳でそう聞こえるというものだった。

んで、その少し後、1993年リリースの11thアルバム『ゲット・ア・グリップ』がヒットした。当時高校生だった俺は、1989年リリースの10thアルバム『パンプ』、『パーマネント~』と少しずつ遡り、1977年リリースの5thアルバム『ドロー・ザ・ライン』、1976年リリースの4thアルバム『ロックス』、1975年リリースの3rdアルバム『闇夜のへヴィ・ロック』、そして1973年リリースの1stアルバム『野獣生誕』に辿り着いた。それにしても『野獣生誕』とは何という邦題なんだろうか。それはさておき、その中身がどうかと言えばこのどうしようもないサウンドプロダクション。ブルースなんてものはよくわからないけど、この泥臭い感じがそうなのだろう。また、この音は俺に初期グランジサウンドを思い起こさせる。語弊を覚悟で言えば、全く洗練されていない出来損ないのハードロックであった頃の初期グランジに近いものがあると思う。予算的にも限られたものがあったのだろうが、それが何とも言えない味わいとなっている。

1973年のリリース当時、この1stアルバムは注目を集めることができなかった。しかし地道なライヴ活動と、後にシングルカットされた③が評価され、この1stアルバムも再発売されるまでこぎ着けたのだ。その際にはジャケットが差し替えられ、メンバーの写真部分がクローズアップされると共にロゴの下に'Featuring "Dream On"'と書き加えられた。⑧を除く7曲の作曲にスティーヴン・タイラーが関わり、著名な③以外にも⑤はガンズ・アンド・ローゼズがカバーしたことで有名である。①②④⑥⑦も素晴らしく、4thアルバム『ロックス』あたりと比べると疾走感はないものの、曲数が少ないため繰り返し聴いてしまいがち。⑧はルーファス・トーマスのカバー。実はローリング・ストーンズの1stアルバムもこの曲のカバーで締めくくっており、ストーンズを意識していたものと想像できる。

バンドは何度かの黄金期と危機を繰り返しながらも乗り越え、『パーマネント~』以降はデビュー時のラインナップを維持、1998年の映画『アルマゲドン』のテーマソングとなった「ミス・ア・シング」や、2002年にリリースされたエミネムのアルバム『ザ・エミネム・ショウ』収録の'Sing For The Moment'では③のコーラスがサンプリングされるなど注目を集め、現在に至るまでその人気を維持している。今年2013年の夏には来日も予定されており、40年も前に完成させた1stアルバムのメンバーが今も最前線で活躍していることに驚嘆すると共に頼もしく、嬉しくもある。

一方、個人的には9thアルバム『パーマネント~』以降のビッグロック的なサウンドプロダクションは11thアルバム『ゲット・ア・グリップ』までで食傷気味に。ちなみに当時の俺は、LDでもリリースされたエアロスミスのPV集『ビッグ・ワンズ』を購入し、PVに登場するアリシア・シルヴァーストーンとリヴ・タイラー(スティーヴン・タイラーの娘)にメロメロだった。と言いながらもエアロスミスで一番好きなアルバムは3rdアルバム『闇夜の~』で、この1stアルバムはその次くらいに好き。思い入れの部分も大きいが、それくらい愛着が持てる作品に仕上がっている。活動期間が長いだけにたくさんの作品があるが、エアロスミスに興味を持った方はその原点も是非チェックしてほしいと思う。(k)



2013年6月9日日曜日

ティアーズ・フォー・フィアーズ / ザ・ハーティング


Tears For Fears / The Hurting

Tears For Fears / The Hurting(1983年リリース)
①The Hurting ②Mad World ③Pale Shelter ④Ideas As Opiates ⑤Memories Fade ⑥Suffer The Children ⑦Watch Me Bleed ⑧Change ⑨The Prisoner ⑩Start Of The Breakdown

ティアーズ・フォー・フィアーズ(以下TFF)の2人の写真を最初に見たのは彼らの大ヒットした2ndアルバム"Songs From The Big Chair(邦題『シャウト』)"で、それを見た時に俺は何故かこの2人をナイーブな人たちなんじゃないかと思った。なぜそう感じたのかは今では覚えていないが、それはこの1stアルバムを聴いて、あながち外れてはいないなと思った。

TFFの2人、ローランド・オーバザルとカート・スミスは共に両親が離婚した家庭で育ち、学生時代に意気投合してバンドを始めたという。片親しかいないというのが2人にとってはある種のトラウマだったのか、この時期の彼らの音楽の原動力となっていたそうだ。それがこの1stアルバムには表れていて、曲のタイトルからもハッピーな要素はどこにもない。アルバム・タイトルからして「痛めつけること」だし、そのせいかどうしても全体的に「痛み」を伴う雰囲気に覆われているような印象を受ける。俺はその内省的な内容はジョイ・ディヴィジョンに通じるものがあると思っているけど、両者の見られ方かして、これは多くの人に否定されそうな気がする。ジャケットは⑥に合わせているのだろうか。発表当時は川辺で佇む2人の写真だったけど、いつのまにか変更されていた。そんな内容ではあるけど、イギリスでは②③⑥がヒットしたことでアルバムも1位を記録した。俺は『シャウト』でTFFを知り、最初はレコードをレンタルしたきたのだけど、モノクロの2人のポートレートが好きですぐに輸入盤のアルバムを買ってきた。それと同じころにこの1stアルバムも聴いたけど、TFFの本質を感じたのは1stだったような気がする。シンセポップとアコースティックをうまくミックスした楽曲の切なさと暗さ、それは俺が最初に『シャウト』のジャケットを見て感じたTFFの2人のナイーブな青年という印象と見事にイコールで結ばれたのだ。

その後、彼らは音楽性に行き詰って、たまたま見て気に入った黒人シンガーを入れて"The Seeds Of Love(邦題「シーズ・オブ・ラヴ」)"をリリースしてこれも大ヒットさせたけど、以降はローランドとカートの仲が悪くなってカートが脱退という最悪なことが起こってしまった。ローランドがTFFの名前を引き継いでアルバムを出していたけど、正直俺にはもはやTFFでは無いように感じてしまい、すっかり聴かなくなってしまった。実を言うと、『シーズ・オブ・ラヴ』も出た時にすぐにアルバムを買ったけど、いまいちなじめずすぐに手放してしまった。だから俺にとってはTFFは最初の2枚だけで止まったようなものだったし、きっと俺と同じような人が世界中にたくさんいるんじゃないかと思っている。しかし2000年以降に2人が接近している噂を聞き、それが現実のものになったのは驚いた。2004年に15年ぶりに2人揃ったアルバム"Everybody Loves A Happy Ending"をリリースしたのだから。俺は数回しか聴いていないけど、やはり2人揃ったTFFってだけで印象がはるかに違う。しかも「誰もがハッピーエンディングが好き」と言えるなんて、初期の悩み多き青年たちも大人になったんだなと、勝手なことを思ったりする。

先にも書いたように、TFFは恐らくこのアルバムで言いたいことをすべて言ってしまったのかもしれない。アルバムには収録されていないが、これに続く"The Way You Are"という曲をシングルで出したもののそれはヒットせず、すでにここで一旦リセットして『シャウト』に繋げている。そして『シーズ・オブ・ラヴ』でも同じような流れだから、限界がきたのもうなづける。だからTFFの最初の3枚のアルバムはすべてタイプが違うのも当然。音の重さは『シャウト』だけど、楽曲の儚さ、切なさは『ザ・ハーティング』だろう。俺はこのどちらも好きなので、そろそろ20数年ぶりに『シーズ・オブ・ラヴ』を聴きなおして再評価したいなと考えている。(h)

【イチオシの曲】Pale Shelter
このアルバムの楽曲はどれも素晴らしいんだけど、一番切なさが伝わってくるのはこの曲かな。それはただ単に音の感じがって意味で。ヴォーカルはカート・スミス。興味がある人は他に"Change"と"Mad World"なんかも試聴してみるといいと思う。ちなみに本文で触れた"The Way You Are"という曲はこのアルバムのボーナストラックとして今は聴くことができる。


2013年6月2日日曜日

ビキニ・キル / プッシー・ホイップド


ビキニ・キル / プッシー・ホイップド

Bikini Kill / Pussy Whipped (1993年リリース)
①Blood One ②Alien She ③Magnet ④Speed Heart ⑤Lil Red ⑥Tell Me So ⑦Sugar ⑧Star Bellied Boy ⑨Hamster Baby ⑩Rebel Girl ⑪Star Fish ⑫For Tammy Rea

90年代初頭、グランジ/オルタナティヴと呼ばれる音楽がメインストリームをひっくり返して行く中で、ライオット・ガール(Riot Grrrl)と呼ばれるフェミニスト達のムーブメントが注目を集めた。そのライオット・ガールの始祖的なバンドのひとつであるビキニ・キルは、グランジの代表格であるニルヴァーナのカート・コバーンの元カノであるトビ・ヴェイルが居たバンドで、カートのフェミニズム的な思想は彼女からの影響が大きいと言われている。また、ビキニ・キルの中心人物であるキャスリーン・ハンナは、ニルヴァーナの代表曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のインスピレーションをカートに与えた人物としても知られている。グランジ/オルタナティヴな見た目とサウンドを放つホール、L7やベイブス・イン・トイランドといった女性を中心としたバンドが有名なライオット・ガールとして取り上げられるケースもあるが、ライオット・ガールなバンドと言えばまずビキニ・キルの名が挙がって然るべきだろう。

ビキニ・キルのアルバム『プッシー・ホイップド』は、インディレーベル「キル・ロック・スターズ」より93年にリリースされた。これに先立ち、91年には8曲入りの自主製作カセットテープ『レヴォルーション・ガール・スタイル・ナウ!』を、92年にはセルフタイトルのE.P.を、93年にはハギー・ベアとのスプリットアルバム『ヤー・ヤー・ヤー・ヤー』をリリースしている。また、92年のE.P.と93年のスプリットアルバムの音源をコンパイルした『ザ・C.D.バージョン・オブ・ザ・ファースト・トゥー・レコーズ』を94年にリリースしている。

今回、記事を書くにあたってビキニ・キルの1stアルバムに相当するのがどの作品なのかについて少々悩んだが、ここではLPとCDでリリースされた初めてのフルレングスアルバム『プッシー~』を取り上げることにした。Wikipediaに記載されたビキニ・キルのディスコグラフィーでは、1stアルバムを『レヴォルーション~』としているし、活動初期のまとまった音源としては『ザ・C.D.~』を取り上げる方が本ブログの主旨に適するかもしれないが、俺の独断と偏見で『プッシー~』を選ばせてもらった。また、ビキニ・キルの作品は日本盤がリリースされたことがなく、基本的に輸入盤となる(輸入盤に帯とライナーノーツを付けたものがリリースされたことはあったようだ)。ここまで作品のタイトルをカタカナ表記させてもらったが、不適当なものもあるかもしれない点をご了承いただきたい。

この『プッシー~』がリリースされるまでに、ビキニ・キル結成から3年ほど活動していることになるが、その間の演奏能力に大きな進歩はなく、その音からは初期衝動というか凄まじい勢いを感じる。自分自身のアイデンティティに葛藤する②、男女関係における不平等感に対する怒りや悲しみといった感情を楽曲にして叩き付け続ける⑤、⑦、⑧など、英語のヒアリング能力が全くない俺でなくても彼女達の叫びを聞き取ることは難しいだろう。特に⑨の歪まくったトビの叫びは痛々しくすら感じる。しかし、赤裸々で攻撃的な内容である歌詞を男性である俺が聞き取ることができないのは悪い意味で都合が良いのかもしれない。⑩は多くの女性バンドにカバーされているライオット・ガールのアンセムであり、それに続く⑪、⑫の物悲しい雰囲気の流れもその余韻を残すことなくあっという間に終わってしまう。12曲入りで25分にも満たないこの作品からはD.I.Y.やパンクという言葉がとても良くフィットし、メンバーで費用を工面し制作した『レヴォルーション~』をカセットテープにダビングして量産したり、ファンジンを作っていたであろう頃と何ら変わっていない。俺にパンクを教えてくれたのはビキニ・キルだった。

俺にとって特別なバンドであるビキニ・キルだが、彼女たちの歌詞の中でやり玉に挙げられる男性性である自分は、本当の意味でビキニ・キルのファンにはなれないのではないかという恐怖すらある。だが、これこそ彼女たちが怒りを向けるべき無知、無理解から来る考え方でもあることも理解しているつもりだ。ライオット・ガール=男性排除主義というレッテルは、メンバーにビリーという男性ギタリストが居ることからも容易に否定できる。ライオット・ガールは偏った報道により間違った見方をされがちだが、俺は彼女たちのようなパワフルでエモーショナルな音楽、サウンドが大好きなのだ。

97年の来日公演で俺にダイヴを喰らわせぶっ倒れさせたキャスリーン。彼女の目には、ステージ前方に来た俺が他の女性ファンの邪魔になっていると映ったのかもしれない。以後気を付けます。

P.S.
以下に貼った動画の’Rebel Girl’の音源は、このアルバムに収録されているバージョンとは異なる点をご了承ください。(k)