2012年9月30日日曜日

ロバート・プラント / 11時の肖像


Robert Plant / Pictures at Eleven (1982年リリース)
①Burning Down One Side ②Moonlight in Samosa ③Pledge Pin ④Slow Dancer ⑤Worse Than Detroit ⑥Fat Lip ⑦Like I've Never Been Gone ⑧Mystery Title

ビッグ・ネームなバンドに所属していた人がソロ・アルバムを出せば、そのバンドと比較されてしまうのは必然だと思う。ロバート・プラントもきっと間違いなく比べられただろうけど、相手がレッド・ツェッペリンというのはどうにも分が悪いような気がする。いや、そのツェッペリンのヴォーカリストなのだから分が悪いってことは無いかもしれないが、それにしても、ロックの歴史にその名を残すバンドのヴォーカリストがそのバンド無き後に出すアルバムなのだから、期待されないわけがない。

レッド・ツェッペリンは1980年9月25日にドラムのジョン・ボーナムを亡くしたことで、その年の終わりに解散を発表した。ここは俺はリアルタイムではないからその時の驚きなどはよく分からないが、ボンゾの死やバンドの解散はさぞかし大きなショックを世界中に与えただろうと想像する。それから約1年半してからギターのジミー・ペイジは映画「ロサンゼルス(原題:Death Wish II)」のサントラをリリース。しかしインストゥルメンタル主体の、しかもサントラということでツェッペリンとはかけ離れた内容には多くのファンが満足いかなかったと思う。そして1982年6月に発表されたのがロバート・プラントの『11時の肖像』だった。

俺がロバート・プラントという人を知ったのは1983年のこと。2枚目の『プリンシプル・オブ・モーメンツ』からシングル・カットされた「ビッグ・ログ」という曲がスマッシュ・ヒットを記録していた頃だった。哀愁漂うミドル~スローなテンポのこの曲のプロモーション・ビデオを何度も見た記憶がある。たぶんこの時はまだこの人がレッド・ツェッペリンのヴォーカルだったとは知らなかったような気がする。何せ俺がツェッペリンを聴きだしたのはその2年後ぐらいだったから。それまでは単なるベテラン・シンガーってぐらいの認識だったかもしれない。後にツェッペリンを聴くようになり、彼の最初の2枚のアルバムがかつてのバンドの音に近いと思うようになったのはもっと後になってからだ。

『11時の肖像』はロバート・プラント名義で出ているが、もしレッド・ツェッペリンが80年代も活動していたらそのままツェッペリンの新しいアルバムとして出ていたのではないかと思いたくなるほど、後期のアルバム(『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』)に近い音だ。特にリズム面をフィル・コリンズやコージー・パウエルという、ハードロックにも通じるタイプのドラマーを使うところなんかは、ロバート自身もツェッペリンを意識したのではないかと思う。特にコージー・パウエルが叩く④なんかは「カシミール」あたりを彷彿とさせる。しかし彼はツェッペリンを意識しつつも、その焼き直しになるようなことはやってこなかった。最初の2枚のアルバムの後にツアーも行っていたが、すべてソロの曲ばかりで、きっとほとんどの聴衆が求めるツェッペリン・ナンバーは1曲もやらなかったそうだ。あくまでも彼の描くロック・ミュージックがその後のアルバムも含めてあるように思える。しかし全体的には地味なアルバムで、やはりツェッペリンと比べてしまうのが人の性というものだろうか。

だってね、この同じ年にはレッド・ツェッペリンの『最終楽章(コーダ)』が解散後のアルバムとしてリリースされちゃってるんだよ、絶対にこれと比べちゃうし、どうしたってそっちのほうが良いに決まってるだろう。あまりにもビッグ・ネーム過ぎるんだよ・・・。(h)

【イチオシの曲】Fat Lip
いちばん目立つ曲は④なんだけど、俺はFMの番組でこのアルバムの曲で最初に聴いたのがこれで、すごくカッコいいと感じた。ツェッペリンの看板が無かったらもっと違った形で売れていたんじゃないかなと思う。いや、十分ヒットしましたよ、特に最初の2枚のアルバムは。


2012年9月23日日曜日

ベン・フォールズ・ファイヴ / ベン・フォールズ・ファイヴ


Ben Folds Five (1995年リリース)
①Jackson Cannery ②Philosophy ③Julianne ④Where's Summer B? ⑤Alice Childress ⑥Underground ⑦Sports & Wine ⑧Uncle Walter ⑨Best Imitation Of Myself ⑩Video ⑪The Last Polka ⑫Boxing

1998年の東京で行われたフジ・ロック・フェスティヴァル。俺はイギー・ポップとソニック・ユースを目当てに1日目だけ出かけた。後日、テレビでこの時の模様を放送したのでその時に初めて2日目の様子も見た。出演者を見ながら誰だかよく分からないなぁとビデオを早送りしながら所々見ていて何となく普通に再生して見たのがベン・フォールズ・ファイヴ(以下BF5)との最初の接点で、これを早送りしていたら俺はこのバンドを今も聴いていなかったかもしれない。

その映像を流しながら最初は単純に曲がいいなと思って見ていた。ところが2曲目(この時の放送はダイジェストで各アーチスト2曲ずつが基本だった)を日本語で歌いだしたから驚いてしまい、しかも「金を返せ、金を返せ、ゆびっち!」と言ってるではないか。そして挙句の果てにはピアノ兼ヴォーカルの男は座っていた椅子を最後自分のピアノに叩きつけて終了というハチャメチャさ。俺はこの1曲のパフォーマンスであっという間に彼らのファンになってしまった。もうこの時点でギターレスってところがとにかく気に入った。翌日にはCDを買いに行ってたぐらいだ。

このアルバムが出た1995年頃の音楽雑誌の主役はアメリカではグランジ後のバンドで、イギリスでもギター・ロックばかりで個人的にはウンザリしていた。当時はまだBF5のことを知らなかったが、本国アメリカよりも日本のほうがウケがよかったというのはなんとなく分かる気がする。ただ日本では当時キムタク主演のドラマに②が使われたというのが大きかったのかもしれないが・・・。BF5の魅力はメロディはもちろんのこと、ダレン・ジェシのドタバタしたドラムにロバート・スレッジのビリビリ鳴るベース、そしてベン・フォールズの時に美しく時に荒いピアノ、3人のうち1人でも欠けたらそれはBF5の音ではなくなるということを特にこの1stアルバムは証明してくれていると思う。「泣き虫野郎のパンクロック」と自らの音楽性を表していたそうだが、パンキッシュな中にも女々しさのある歌詞などがまさにそうだと思える。クラスで目立たず時々苛められてた奴が陰で「この野郎」と文句を言ってたような、そんなイメージ。

俺がBF5に夢中になった1998年、彼らのことを知りたくてWebを調べまくったが、日本語で書かれたファンサイトが1つも無かった。それはダメだろうと思った俺は、だったら自分で作ってしまおうと、まだBF5歴数ヶ月にも関わらず彼らのファンサイトを開設したという過去がある。その中でこのアルバムについては「捨て曲が一切無い」と書いていたのだけど、今聴きなおしてみても同じ感想を抱いている。そして、このバンドを知ることができたことが俺の90年代の中でもかなり大きな比重を占めていたことを再確認した。

そんな彼らが再結成して13年ぶりのアルバムを出したことは非常に喜ばしい。そしてまたこのアルバムの曲や「金返せ」を日本で聴ける日が来ることを待ち遠しく思っている。(h)


【イチオシの曲】Julianne
「僕が出会った女はアクセル・ローズにそっくりだったんだ」で始まるパンクな曲。結局この女をモノに出来なかったことを歌ってるのか、モノにしなくて良かったと歌っているのかよく理解できていないが、なんとなく最初から自分には無理だったんだよと歌っているような気がする。このアルバムよりも"Naked Baby Photos"に収録されたライヴ・バージョンの方が疾走感があって良い。

2012年9月16日日曜日

ザ・ストロークス / イズ・ディス・イット


The Strokes / Is This It(2001年リリース)
①Is This It ②The Modern Age ③Soma ④Barely Legal ⑤Someday ⑥Alone, Together ⑦Last Nite ⑧Hard To Explain ⑨New york City Cops ⑩Trying Your Luck ⑪Take It Or Leave It

天に二物を与えられたような人が羨ましい。野球で言うところの四番でピッチャー。俺は神に対して「何故こんな不平等な世界を作ったのか?」と問い詰めたいと常々思ってる。でも、神様なんて居ない。だが、下した腹を抱えてトイレを探し求めている時だけは、神という存在に祈ることはよくある。

時は20世紀末、俺は人生のマイルストーンを幾つか迎えては越えを繰り返しておっさんになり、身も心もすっかり丸くなってしまった。そして、音楽(産業)に対する忠誠心をすっかり失ってしまった結果、CDの購入枚数が激減した。そんな状況下で、音楽誌ロッキング・オンの紙面でストロークスを最初に知った時は、その佇まいを見て「あぁ、またハイプね、フフン」程度の印象であった。幼稚な劣等感(コンプレックス)に精神を歪まされている俺は、ニューヨークから出てきたアッパークラスでグッドルッキングガイなストロークスというバンドを斜に構えて捉えることしかできなかったのだ。その音楽を耳にするまでは。

ストロークスを語るにあたり、同じくニューヨーク出身であるヴェルヴェット・アンダーグラウンド等が引き合いに出されることを散見する。確かにサウンド自体は良い意味でも悪い意味でもレトロなロックを思い起こさせるが、しっかりとしたフックとキャッチーなフレーズがあり、それらのバンドが持っていたアート的な雰囲気よりもポップソングであることが前に出ている。またストロークスは、ガレージロック・リバイバルの中心的なバンドのひとつと言われているようだが、ガレージという言葉から連想される小汚さからは程遠い。ルックスなど音楽そのもの以外の情報過多で先入観があることは認めざるを得ないが、ストロークスにはロックンロールという言葉がしっくりくる。同様に先入観で申し訳ないが、ガレージロックという言葉ならホワイト・ストライプスの方がお似合いだ。

ストロークスのブレイクには、ブリッド・ポップが失墜しレディオヘッドのポスト・ロック的なアプローチの後、ギターを中心とした骨太なロックへの揺り戻しという時代の流れの後押しがあったのかもしれない。しかし、このアルバムに収録されている曲はどれも小細工不要でシンプルであり、ただただ素晴らしく、そのような後押しがなくてもブレイクは必至だったろう。たった36分のアルバム全体を通した流れよりも、シングルカットできる曲が目白押しであることが驚異的である。デビューE.P.のタイトルトラックである②の他、⑤、⑦、⑧がシングル・カットされているが、それ以外も佳曲ばかりだ。さらに驚いたことには、フロントマンであるジュリアン・カサブランカスがこの『イズ・ディス・イット』の作詞作曲を全て手掛けているのだ。なんだ完璧(パーフェクト)超人か。その四番でピッチャーのジュリアンのワンマン・バンドとは思わせないような雰囲気、バンド然としているところも良い。実情は知らないが。

さて、ここまで書いておいて何だが、俺はストロークスのことが素直に好きになれない、ということを白状しておこう。その理由のひとつが、自分とは正反対のスタイリッシュで洗練されていることへの劣等感(コンプレックス)であるのは言うまでもない。そして本題。イギリス(北アイルランド)のバンド、アッシュが『1977』というアルバムを出し、それが意味するところのひとつが「自分たちの生まれた年である」というのを1975年生まれの俺が知った時のなんとも言えない感覚をおわかりいただけるだろうか。甲子園ではつらつとプレーする高校野球の選手達が、いつの間にか自分より年下であることの意味を改めて噛み締めたあの時と同じだ。憧れや尊敬の対象が自分より年下であることへの抵抗感と劣等感(コンプレックス)である。結局は、おっさんになり感受性が鈍ってしまったことで物事を素直に捉えることができなくなってしまった自分が悪いだけなのだ。だから、これらバンドの創る音楽がどんなに素晴らしいものかということを頭で理解できても、心の底から好きになれない自分がいる。その結果、昔は良かったなどと90年代を懐古するおっさんに成り下がってしまった。そう、俺がおっさんになってしまったという単純な理由なのだ。

冒頭、神様の存在を否定したおっさんの俺だが、今年に入ってこんなことがあった。完璧(パーフェクト)超人のはずのジュリアンがイケてない野球帽(キャップ)を被り、肥えた身体でパフォーマンスする姿がただのおっさんにしか見えなかったのだ。その時、俺の劣等感(コンプレックス)はいくらか鳴りを潜め、神様の存在を肯定できそうな気がした。ところで、この文章中で俺は何回「おっさん」とか「劣等感(コンプレックス)」とか書けば気が済むのだろうか。(k)

2012年9月9日日曜日

ジョン・レノン / ジョンの魂


John Lennon/Plastic Ono Band(1970年リリース)
①Mother ②Hold On ③I Found Out ④Working Class Hero ⑤Isolation ⑥Remember ⑦Love ⑧Well Well Well ⑨Look At Me ⑩God ⑪My Mummy's Dead

中古CDでジョン・レノンの棚を見ると、『イマジン』とこの『ジョンの魂』を多く見かける。ジョンといえばこの2枚がやはり人気がある分こうして中古も見かけるのだろうけど、これを売りに出した人たちは最初にジョンの音楽に何を求めてこの2枚を選んだのかなと考えてしまう。いや、俺も実を言うとかつて持っていたこの2枚のアルバムを売ったことはあるが、それは貧乏時代にやむを得ずしたことであって、特に『ジョンの魂』は一度聴いたら一生持っていたいロック・アルバムだと思っていたのですごく後ろめたい気分だった。

『ジョンの魂』のような人間味を感じるアルバムにはめったに出会えない。心の中にある言葉を正直に吐き出していて、バックも最低限の音だけで飾ったようなところが1つも無い。ビートルズの影はここにはどこにも無く、これがこのアルバムを初めて聴いた時に戸惑う理由なのかもしれない。俺はジョン・レノンについては2つの「後追いで良かった」と思えることがある。1つはジョンの死のことで、当時小学6年生だった俺はジョンが亡くなったというニュースを見ても誰なのかよく分かっていなかった(その翌年からビートルズを聴くようになった)。そしてもう一つがビートルズのリアルタイム世代ではなかったこと。もしビートルズの解散を目の当たりにしたあとに『ジョンの魂』を聴いていたら相当ショックを受けたんじゃないかと思う、特に⑩の「ビートルズも信じない」なんて言葉を聴いたりしたら。

初めて①のイントロで鳴る鐘の音を聴いた時は正直怖いと思った。俺もまだ学生の頃はジョンの曲といえば有名どころというか、「スターティング・オーバー」や「イマジン」など、所謂ベスト盤に入っているような曲しか知らなかったからこのイントロの重さは凄まじかった。そしてフェイド・アウトするにつれてジョンは声を振り絞るように叫ぶ「ママ、行かないで」と。早くから両親不在で育ってきたジョンにとって、ようやく一緒に母親と暮らすことができるという時に交通事故で亡くしてしまったショックというのはずっとジョンにつきまとっていたのだろう。それをプライマル・スクリーム療法でその気持ちをさらけ出したのがこの曲だ。乱暴な言い方をしてしまうと『ジョンの魂』はこれに尽きるのではないかと思う。①で聴くものをふるいにかけている感がものすごくする。この生々しさに耐えられる者がきっとこのアルバムをずっと聴き続けるのだと思う。

このアルバムは他にも②や⑤や⑨など、ジョンの心の中を歌っているような曲が多いし、⑧や⑩のような攻撃的なジョンも垣間見える。そうかと思うと今ではスタンダードのような⑦も入っていて、『ジョンの魂』という邦題はよくぞつけてくれたと思うぐらいピッタリなタイトルだと思う。まさにジョンのソウル(魂)が感じられるアルバムだし、このアルバムを体験したロックと体験していないロックとでは方向性が180度違うよねって言いたい。そしてビートルズのジョン・レノンに魅了されている人でこのアルバムを聴いていないという人がいるなら、一度は体験しておくべきアルバムと言っておきたい。(h)

【イチオシの曲】Mother
本文にも書いたが、冒頭のこの曲でこのアルバムを聴けるかどうかが分かれるのではないかと思う。ジョンは早くから両親と別離していたこともあって、タイトルだけだと母親のことのようだけど、「パパ帰ってきて」とも叫んでいる。実際、ジョンの父親はジョンがビートルズで成功してから名乗り出てきて、ちゃっかりジョンから援助してもらっていたそうだ。


2012年9月2日日曜日

ベック / メロウ・ゴールド


Beck / Mellow Gold(1994年リリース)
①Loser ②Pay No Mind (Snoozer) ③Fuckin With My Head (Mountain Dew Rock) ④Whiskeyclone, Hotel City 1997 ⑤Soul Suckin Jerk ⑥Truckdrivin Neighbors Downstars (Yellow Sweat) ⑦Sweet Shunshine ⑧Beercan ⑨Steal My Body Home ⑩Nitemare Hippy Girl ⑪Mutherfuker ⑫Blackhole

俺がベックに興味を持ったのは1998年のフジロックで少し観たのと、後にテレビでその模様をちゃんと見てからだったので、アルバムで言うと『オディレイ』が出て数年してからという遅れたファンだ。時は1993年、ニルヴァーナを始めとするグランジ・シーンも落ち着いたころに突如「俺は負け犬、いっそのこと殺してくれ」と歌った「ルーザー」という曲が話題になり、当時読んでいた音楽雑誌でも「変な奴が現れた」的な書き方でこの新しいタイプのミュージシャンに注目していたと記憶する。俺はその雑誌の書き方が気に入らなくて当時は興味を持てなかった。

実際に他の人がどう思っているのか分からないが、俺が想像する一般の人が抱くベックのイメージは『オディレイ』やその後の作品から、その時のトレンドを取り入れながら時代の半歩先を行く音楽を作っているとか、そんな感じなのだけどもしそのイメージでこの『メロウ・ゴールド』を聴くと少なからず戸惑ってしまうだろうなと想像する。しかしそれはあくまでも最近のアルバムから遡った場合の話であって『メロウ・ゴールド』前後のベックの活動を押さえておけばむしろ『オディレイ』以降が特殊だと言ってしまってもおかしくはない。

ベックは80年代中頃に高校をドロップアウトして祖父のアル・ハンセンと共にヨーロッパを放浪し、80年代終わり頃にニューヨークへ戻ってくる。その時に目の当たりにした「アンチ・フォーク」というムーヴメントに触発され、彼自身も古いブルースやフォークを基調とした音楽を演奏し始めた。ちなみにアンチ・フォークとは、70年代のシンガーソングライター系ミュージシャンが歌う、なよっとした一般で知られるところのフォーク・ミュージックへの反発のこと。日本で言うところの「四畳半フォーク」とかだろうか?俺もその手のフォークってのがクソほど嫌いなので、このムーヴメントは素晴らしいと思ってしまう。1988年には"Banjo Story"という作品をカセットでリリース。その後ロサンゼルスに移りバイトをしながらライヴハウスで歌うという日々を過ごす。そこから数年間の間に彼は多くの録音物を残していて、1993年にはSonic Enemyというレーベルから"Golden Feelings"をカセットでリリース、翌1994年にはFingerpaint Recordsというレーベルから"A Western Harvest Field By Moonlight"を10インチ盤でリリースし、同年にはFlipsideというレーベルから"Stereopathetic Soulmanure"というアルバムをリリースと、それまでに溜めた録音物を発表しまくっている。

これらの作品を聴けば分かると思うが、とても今のベックからは想像できないクズ曲のオンパレードである(もちろんコレは愛を込めて言っている)。フォークやブルース、ノイズ、パンクもどきなど、宅録というかローファイというかとてもメジャー・レーベルでは出せないようなものばかりである。そんな中、ベックはBong Loadというレーベルにて「ルーザー」と『メロウ・ゴールド』を録音。「ルーザー」は1993年にリリースされ、地元ラジオ局でオンエアされて話題となると、いくつかのメジャー・レーベルが獲得に乗り出してきた。しかしベックは『メロウ・ゴールド』も先に出したアルバムとほとんど同じようなレベルで製作していたから、メジャー・レーベルとの契約なんか考えてもいなかった。最終的にはすでに録音した『メロウ・ゴールド』をメジャー向けに手を加えることなくリリースしてくれると約束したゲフィン・レコードと契約した。

「ルーザー」はヒットしたが、しかしよく聴くととても奇怪な曲だと思う。スライドギターと打ち込みをバックに、低くこもった声でラップをし「俺は負け犬」と何もかもがマイナスなイメージを与えてくる。それでもこのアルバムの中ではかなりキャッチーな方で、他は彼の出自でもあるブルースやフォーク色が濃いものだが、全体的にやる気のないダルさを感じるものが多く、そうかと思うとハードコアなタイプの曲もあって、よくもまあゲフィンもこんなアルバムを認めたよなって思ってしまう。しかもゲフィンとの契約はそれだけでなく、契約後もインディーズから自由にレコードを出してもいいという特別な計らいもあった。Kというレーベルから出た"One Foot In The Grave"は『メロウ・ゴールド』の後にリリースされたフォーク、カントリー作品だ。

すでにお気づきかと思うが、ベック自身の1stアルバムはこれではなく、正確には"Golden Feelings"ということになる。これは後にSonic Enemyが2000年ごろに勝手にCD化して回収騒ぎとなって入手困難なため、今回はメジャー・レーベルでの1stとなる『メロウ・ゴールド』にしたというわけだ。このアルバムさえ聴いておけば、この時期のベックのほかの作品を聴く必要は特にないと思っているが、でも本当はベックってこういう人なんだよってのを知るためにも他の作品も聴いてみるといいと思う。これらの時期を経て、時代のエッセンスをふんだんに加えていったのが次作『オディレイ』になっていったのだから。(h)

【イチオシの曲】Loser
やはりこの曲があったからこそベックはゲフィンと契約できたわけだし、もしローカルヒットで終わっていたら『オディレイ』もその後も無かったかもしれない。最近の作品は洗練されすぎちゃっていて、そろそろこのような泥臭い作品を再び出してくれてもいいのではないかなと思う。