2013年2月24日日曜日
ザ・ブリーダーズ / ポッド
The Breeders / Pod (1990年リリース)
①Glorious ②Doe ③Happiness Is a Warm Gun ④Oh ⑤Hellbound ⑥When I Was a Painter ⑦Fortunately Gone ⑧Iris ⑨Opened ⑩Only in 3's ⑪Lime House ⑫Metal Man
「ザ・ケリー・ディール6000」というバンド名が好きだ。ザ・ピクシーズの紅一点キム・ディールの双子の姉妹ケリー・ディールが、薬のリハビリ施設から出所した後に結成したバンドである。90年代中ごろ、音楽雑誌のレビューでその存在を知り、そのバンド名のインパクトのみで俺の脳の記憶領域の一部を占拠するも、未だにその音は聴いたことがないし、聴こうとするモチベーションもない。このまま順調に行けば、「6000」が何を意味するかも知ることなく俺は死んでいくのだろう。
ここまでで今回言いたかったことの半分は伝えられたと思う。ここからはおまけ的にザ・ブリーダーズの1stアルバム『ポッド』について書いてみる。本来ならブリーダーズのおまけがケリー・ディール6000のはずで、とか何とか言ってもディール姉妹にはどちらにせよ失礼なこと書きました。ゴメンなさい。
ブリーダーズは、キム・ディールと、スローイング・ミュージズのタニヤ・ドネリーにより、彼女たちのサイド・プロジェクトとして結成された。タニヤはブリーダーズが2ndアルバムをリリースするまでには脱退し、自身のバンドであるベリーに活動の軸を移していく。キムとタニヤは、ピクシーズやスローイング・ミュージズでは自分のやりたいことができない不満を解消するために自分のバンドを組み、その才能を世に知らしめた。その第一歩がこのブリーダーズの1stアルバム『ポッド』だった。
ブリーダーズと言えば、やはり名曲「キャノンボール」を収録した2ndアルバム『ラスト・スプラッシュ』が有名だろう。この頃には、冒頭紹介したキムの双子の姉妹であるケリーもブリーダーズの一員として参加している。スパイク・ジョーンズ(とキム・ゴードン)の手による「キャノンボール」のPVも素晴らしい出来栄えだ。オルタナ全盛期においても、これほど素敵なアルバムはそうそうあるものではない。そんな瑞々しい2ndアルバムに対し、この1stアルバム『ポッド』はより内向的であり、乾燥気味な堅めのサウンドがたまらない逸品になっている。その主犯はもちろん、ピクシーズの1stアルバム『サーファー・ローザ』も手掛けたスティーヴ・アルビニだ。
ブリーダーズを初めて聴くという方には、誰もが2ndアルバム『ラスト・スプラッシュ』を勧めるだろう。だがピクシーズの『サーファー・ローザ』やニルヴァーナの『イン・ユーテロ』なんかが好きでブリーダーズを未聴という方が居れば、是非この『ポッド』を聴いてみて欲しい。けど、決して万人に勧められるものではない。キムの歌は上手い下手かで言えば下手かもしれないけど、ちょっとうるさくて、とても自由で、魅力的。曲の構成はフラフラと好き勝手に展開するようでいて、フックがありポップ。一発録りしたようなバンドサウンドは、とてもシンプルでコンパクトで、数も多くない音の隙間具合がたまらなく気持ちいい。このちょっと物足りなさを誘う感じ、寂しい雰囲気や音作りは、スティーヴ・アルビニの手腕によるものだろう。
中でも俺が好きな曲はまず③。ブリーダーズのオリジナルの楽曲ではなく、ビートルズのカバーを選んでしまって申し訳ないんだけど、原曲よりも展開の強弱が極端でカッコいい。'Mother Superior jump the gun'と力強く歌い切った後、控えめのギターと、囁くように歌う'Happiness is a warm gun'のフレーズの余韻がたまらない。あとは⑧の泣きのギターとキムの声がとてつもなく好きだ。
冒頭、ケリー・ディール6000に関してこれ以上何かを知ることはないだろう、という趣旨のことを書いた。同様にブリーダーズについても、この『ポッド』のジャケットに写ってるものが何なのかを知ることなく俺は死んでいくのだろう。蛇足だが最後に、この『Pod』はニルヴァーナのカート・コバーンが自分の人生に影響を与えた一枚として取り上げていることを記しておく。(k)
2013年2月17日日曜日
フリートウッド・マック / ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック
Fleetwood Mac / Peter Green's Fleetwood Mac(1968年リリース)
①My Heart Beat Like A Hammer ②Merry Go Round ③Long Grey Mare ④Hellhound On My Trail ⑤Shake Your Maneymaker ⑥Looking For Somebody ⑦No Place To Go ⑧My Baby's Good To Me ⑨I Loved Another Woman ⑩Cold Black Night ⑪The World Keep On Turning ⑫Got To Move
学生の頃、貸しレコード屋で何を借りようかを物色しているときに、フリートウッド・マックのコーナーが目に入った。当時まだ『ミラージュ』しか聴いていなかったけど、彼らの音楽が好きだった俺は、何か借りようかなとレコードを引っ張り出してみると、出てきたのが女装をして驚いたような顔のしているオッサンのどアップ写真のジャケット。え?ちょっとちょっと、何このウザいオッサンのジャケット!とビックリした俺はそのレコードを戻したのは言うまでもない。当時は、前回のスティーヴィー・ニックスのところでも書いたけど、フリートウッド・マックというのは女性2人、男性1人のヴォーカリストを擁するポップ・グループだと思っていただけに、それに似つかわしくないジャケットに戸惑ってしまったのだ。それは『英吉利の薔薇』とタイトルのついたアルバムだった。
確かその直後ぐらいに知ったのだが、フリートウッド・マックのデビュー時はブリティッシュ・ブルースのバンドで、俺が知っているポップ・バンドとは全くの別物だったらしい。後にサンタナがヒットさせた「ブラック・マジック・ウーマン」のオリジナルをやってるとか、「アルバトロス」という曲がヒットしたということを知ったが、その頃はネットなんて無かったから、FMでオンエアされるのを待つか、レコードを買うしかなかった。でもそれらが入っている『英吉利の薔薇』はどうも買う気にはなれなかったから、結局初期のマックを聴く機会はないまま来てしまった。
その『英吉利の薔薇』というアルバムはアメリカ向けの2ndアルバムで、日本でのデビュー・アルバムでもあったのだが、イギリスで最初にリリースされたのが今回紹介する『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』なのである。ジョン・メイオールのブルースブレイカーズにエリック・クラプトンの後釜として加入したピーター・グリーンが、このグループ脱退の後に同じく脱退したミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーらと新しく結成したのがフリートウッド・マックで、他のバンドで活動していたジェレミー・スペンサーを加えた4人でスタート。1968年という年はイギリスではブルースがブームとなっていたようで、このデビュー・アルバムも好評のうちに迎えられたとのこと。アルバム・タイトルからピーター・グリーンがリーダーのようだが、曲はグリーンとジェレミー・スペンサーがそれぞれ作り、他にはロバート・ジョンソンやエルモア・ジェイムスのカバーなどが収録されている。
この時期のブルース・ロックだと、例えばクリームみたいなインプロヴィゼーションが入っているのかと思ったが、そういうものはなく、グリーンとスペンサーによるギター・バトル的なものもない。割とシンプルな構成となっていて俺は聴きやすいのかなと思う。気に入っているのはスペンサーの曲中での「イエイ!」とか「アオッ!」みたいな掛け声とスライドギター。これが荒々しさを出していてカッコいい(①⑧⑩など)。一方でグリーンによる曲(②③⑥など)はブルースにプラスアルファをしたような、その時代の空気も加味されている印象を受ける。両者の個性の違いが分かりやすいが、アルバムの統一感はしっかりしていると思う。
グループは順調にスタートしたようだが、「アルバトロス」というブルースとは言えないインストゥルメンタルの曲がヒットしたことで徐々に変化が起こっていく。ピーター・グリーンが脱退し、さらにはジェレミー・スペンサーも失踪してしまう。ここからフリートウッド・マックはメンバーの入れ替わりを繰り返し音楽性もフォーク調やらポップなものに変化していく。時期によってまったく違うバンドなのがフリートウッド・マックで、バンド名にもなっているミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーの2人がリズム隊として何十年もバンドを支えているところも面白い。俺はボブ・ウェルチ時代のアルバムを未だ聴いたことがないのだが、やはり押さえておくべきなんだろうね。言い忘れたけど『英吉利の薔薇』の女装オッサンって、ミック・フリートウッドなんだってね、最近知ったよ(ジャケ写真はタイトルをググってみてください)。(h)
【イチオシの曲】My Baby's Good To Me
スライドギターと粗い歌い方、ジェレミー・スペンサーのスタイルが気に入ってしまった。失踪したのはカルト宗教に入ったからとか言われているが、今も健在なのかな?
2013年2月10日日曜日
スティーヴィー・ニックス / 麗しのベラ・ドンナ
Stevie Nicks / Bella Donna(1981年リリース)
①Bella Donna ②Kind Of Woman ③Stop Draggin' My Heart Around ④Think About It ⑤After The Glitter Fades ⑥Edge Of Seventeen ⑦How Still My Love ⑧Leather And Lace ⑨Ouside The Rain ⑩The Highwayman
映画『スクール・オブ・ロック』で舞台となる小学校の、堅物な女校長がバーで流れる⑥に酔った勢いで踊りだし、若いころに観たスティーヴィー・ニックスのライヴが最高だったと話すシーンがある。俺はこのシーンが実によくできているなと思ったのだけど、今の40代50代の人、特にアメリカではスティーヴィー・ニックスの存在はかなり大きかったんじゃないかと思うからだ。70年代にフリートウッド・マックに参加し、瞬く間にバンドの看板的存在となった彼女は多くの人にとってはある意味青春だったんじゃないかと。俺も80年代では好きな女性シンガーのひとりだったし。
70年代初頭に、恋人だったリンジー・バッキンガムとバッキンガム・ニックスというデュオで活動していたが、彼らの曲を聴いたミック・フリートウッドが自身のバンド、フリートウッド・マックに誘い込んだ。話によると当初はリンジーだけに声がかかったそうだが「スティーヴィーも一緒じゃなきゃ入らない」と言ったとかで2人そろっての加入となったらしい。このことが無かったらきっとスティーヴィー・ニックスという人は日の目を見なかったことだろう。2人が入ったフリートウッド・マックは音楽性がさらにアメリカナイズされたことにより一躍スーパーバンドとなる。特に「妖精のような」と形容されたスティーヴィーはすぐにバンドの顔となり1977年の『噂(Rumors)』では大ヒットを記録した。その後、彼女はソロ・アルバム用のデモの録音を始め、2年かけて創り上げていったのがこの『麗しのベラ・ドンナ』ということになる。
このアルバムではフリートウッド・マックのメンバーはまったく関与しておらず、トム・ペティやイーグルスのドン・ヘンリーなどがゲストとして参加している。俺が最初に聴いた彼女のアルバムは2枚目の『ザ・ワイルド・ハート』と3枚目の『ロック・ア・リトル』で、いかにも80年代の打ち込みやシンセサイザーが入った流行りの楽曲が並んでいたが、このアルバムではオーソドックスなアメリカン・ロックを聴くことができる。その中でもロック・タイプの⑥は代表曲であって、俺もかつて「ベスト・ヒット・USA」で見たライヴ映像でこの人に惹かれてしまったことを思い出す。当時の彼女のルックスや衣装などを含め「妖精のような」と言われたその存在感に圧倒された。ついでにあのハスキー・ヴォイスというかダミ声にも(笑)。
しかしフリートウッド・マックのアルバムでは数曲しか聴けない彼女のヴォーカルに物足りなさを感じるのに、いざこうして彼女のソロ・アルバムを聴くと、クリスティン・マクヴィーやリンジー・バッキンガムの曲が恋しくなるのはやはりあのバンドの持つマジックというものなんだろうか?もちろん彼女にも才能があるのは分かっているけど、シングル・ヒットした③や⑧はそれぞれトム・ペティとドン・ヘンリーとのデュエット曲で、グループや共演者によってさらに輝く人なんじゃないかと思う。そう考えると、人間関係がぎくしゃくしていた当時のフリートウッド・マックを脱退しなかったのもそういうことだったのだろう。
ところで、やはりこれは触れておかないといけないと思うのだが、妖精のようなという形容詞は間違っていないし、実際に美しい人であると思うけど、あのハスキーというかダミ声ヴォーカルは何でそんな喉つぶれているのって思っちゃうし、マック時代はコカイン中毒で苦しんでいたなんて話を聞くと結構アバズレだったんじゃないかって思ってしまうよね。でも実はいいところのお嬢さんだったようだけど、そのバランスがまた唯一無二の存在となんじゃないかと思う。(h)
【イチオシの曲】Edge of Seventeen
2013年2月3日日曜日
ガービッジ / G
Garbage / Garbage (1995年リリース)
①Supervixen ②Queer ③Only Happy When It Rains ④As Heaven Is Wide ⑤Not My Idea ⑥A Stroke of Luck ⑦Vow ⑧Stupid Girl ⑨Dog New Tricks ⑩My Lover's Box ⑪Fix Me Now ⑫Milk
「機械でリズムを取る音楽はロックじゃない。」
何年も前、そんな物言いをしているミュージシャンの記事を読んだ。誰の発言なのか裏を取りたくて先ほどネット上で検索してみたが、該当するソースを見つけることはできなかった。残念。同じ頃、メタリカが「ジャスト」なサウンドを求めているという旨の発言をしたと記憶している。レコーディングでもライヴでもイヤホンから聴こえるクリック音を頼りに、正確なリズムを刻むバンドはたくさんいるだろう。ドラムマシーンのように人間が叩いていないものは勿論、人間が叩いていても機械に頼った音楽はロックではない。先のミュージシャンはそうディスっていた。俺の記憶が確かなら。
ドラムマシーンだかシーケンサーだかサンプラーだか知らないけど、機械的で正確なリズムが生理的にダメだった。テクノだかハウスだかジャングルだかドラムンベースだか知らないけど、非リアの俺がオシャレ感漂う音楽を俺が苦手としていただけだ、という見方も見当外れではない。単純に打ち込みってヤツに対して免疫がなかったのだろう。もう20年くらい前の話。
ガービッジを初めて耳にしたのは、tvk(テレビ神奈川)で木曜夕方5時から放送されていた音楽番組「Bubblegods」で流されたPVだった。落ち着きのない俺は大人しく黙ってラジオを聴くなんてことはできないが、映像と共に音楽が流れてくるPVを見て聴くことは大好きだった。活字を読むことも苦ではないため好んでいくつかの音楽雑誌を講読していたが、音楽そのものは置いてきぼりでその他の情報だけで頭でっかちになっていた嫌いが多分にあった。PV、もっといえばtvkはそれをいくらか緩和してくれる貴重な情報源だった。
ガービッジがデビューした1995年、「あの『ネヴァーマインド』をプロデュースした」ブッチ・ヴィグが組んだバンド、ということで、ニルヴァーナが大好きだった俺は避けて通るわけにはいかなかった。tvkを介して②、③、⑧や⑫のPVを見て⑧のキャッチーさが気に入った。③のシングルCDを購入してみたが、3曲目に入っていた'Sleep'という曲のドラムパターンの繰り返しが耳触りで我慢できず、ガービッジに対する興味がなくなってしまった。「こんなのロックじゃない」的な中二病を拗らせ、当時の俺はガービッジの音楽を受け入れなかった。どうしても打ち込みのループが気持ち悪かった。メタル上がりでオーソドックスなロックしか聴いてこなかった耳には刺激が強すぎたのか。俺がニューウェーヴあたりを通過していればこんなことにはならなかったかも。
その後、色々な音楽を耳にしていくうち、ここまで書き殴ってきたような打ち込みに対する抵抗感は全くなくなっていった。大嫌いだった'Sleep'は、今でも大好きな一曲だ。そして1998年の夏、豊洲の埋立地で開催された第2回目のフジロックフェスティバル。2ndアルバム『ヴァージョン2.0』を引っさげ、ガービッジはまだ日の高いうちにステージに登場した。ブッチ・ヴィグのたたくドラムがエアっぽい気もしたが、そんな細かいことはどうでも良かった。爬虫類みたいな顔してるけど、俺はシャーリー・マンソンに恋した。3人の(おっさん)プロデューサーと紅一点のシャーリー・マンソンの奏でる曲は奇を衒うようなことはぜず、どの曲もポップ・ミュージックとして大変優秀な出来栄えだと思う。悪く言えばどこを切っても同じ。金太郎飴状態。1st、2ndで俺のシャーリー・マンソン、いやガービッジに対する恋は終わっていた。熱しやすく冷めやすい。
俺が続く3rdアルバムや4thアルバムを手にするのは21世紀も10年以上が経過してから。ブックオフでそれぞれ105円で購入した。5thアルバム『ノット・ユア・カインド・オブ・ピープル 』を引っさげ、2012年にはサマー・ソニックのステージに立つも俺はその場にいなかった。
俺を振り向かせるような活躍をしてくれる日が来ることを期待せずに待ってるよ。(k)
2013年1月27日日曜日
イーノ / ヒア・カムズ・ザ・ウォーム・ジェッツ
Eno / Here Comes The Warm Jets(1974年リリース)
①Needles In The Camel's Eye ②The Paw Paw Negro Blowtorch ③Baby's On Fire ④Cindy Tells Me ⑤Driving Me Backwards ⑥On Some Faraway Beach ⑦Blank Frank ⑧Dead Finks Don't Talk ⑨Some Of Them Are Old ⑩Here Come The Warm Jets
ロキシー・ミュージックをアルバム2枚で脱退したイーノはすぐにソロ・アルバムのレコーディングを開始する。そして1974年にリリースされたのがこの『ヒア・カムズ・ザ・ウォーム・ジェッツ』である。名義はイーノ。
イーノというと俺は、70年代のデヴィッド・ボウイのベルリン三部作(『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』)や、80年代のU2の『焔』『ヨシュア・トゥリー』などのプロデューサーとしての仕事のことを先に知った。次に「環境音楽」の創始者として、そしてロキシー・ミュージックのメンバーだった、という順番で知ったと思う。10代のころから何度も目にしてきた名前だったが、ソロ・アルバムを聴くという機会はなかなか無く、90年代の『ナーヴ・ネット』というアルバムを唯一聴いていたという程度。その次に聴いた音源がWindows95の起動音だったとは後になって知ったけど(笑)。やはり環境音楽というジャンルが俺には難解なイメージを与えていたのは否めない。いや、環境音楽自体は普段の生活の中で聴きながすことができる音楽だというのは分かっていたが、それを小難しく、論理的に実施しているような気がして難しく考えてしまっていた。
そんなイーノの音楽についての俺の偏見を変えてくれたのが、前回のロキシー・ミュージックのところでも書いた『ベルベット・ゴールドマイン』という映画のサントラにも収録されていた①だった。アンビエント系にありがちな低くこもったヴォーカルではなく、声を張り上げたイーノのヴォーカルにびっくりだった。ロックンロールじゃないかと。個の他にもロキシー・ミュージックのフィル・マンザネラが別プロジェクトとして始めた801のライヴ盤で聴ける③などもあって、イーノのロック・アルバムに興味を持ったわけだ。このアルバムにはキング・クリムゾンのロバート・フリップやジョン・ウェットンなどが参加していて、さらには自分をクビにしたブライアン・フェリーを除くロキシー・ミュージックのメンバーも全員参加している。一聴すると非常に風変わりなロックを展開している。
①はイーノ流のロックンロールで、ロキシーのアルバムに入っていてもおかしくない感じ。②ではイーノの素っ頓狂なヴォーカルが良い。③のロバート・フリップによる「スネーク・ギター」がほぼメインのような曲。ヴォーカルはちょっとだけ。④はイーノによるシンセサイザーの音が強烈だったりするがポップ。⑤はエキセントリックなピアノの演奏とイーノの大げさなヴォーカルの組み合わせが最高。⑥はアルバム中最もおとなしい演奏って感じがする。インストゥルメンタル主体でヴォーカルはちょっとだけ。⑦はボ・ディドリー・ビートだねこれは。⑧はバックの「オー・ノー、オー・ノー、オーノオーノオーノー!」ってコーラスが間抜けで笑ってしまう。曲の終わりのノイズみたいな音は今ならベックあたりがやりそうな感じ。⑨は厳かな中にも実験的な雰囲気を感じる。そしてタイトル曲⑩では前の曲のバックで鳴っていた音をそのまま引継ぎ、徐々に高揚していく感じで終わる。
アルバム全体を通して聴くと「とにかく変!」と思ってしまうが、これはクセになってしまう。ロキシーの1stも風変わりではあるが、俺はさらに風変わりなこっちのほうが好きだ。イーノはロック・アルバムを3枚出した後に環境音楽を推し進めていくようになるが、どういうフォーマットであれ唯一の存在感があるんだよね、この人は。それにしても、ロキシーでデビューした当時はてっぺんハゲにしてロン毛って、まるで落武者のようなルックスだったのに、グループ内でいちばんの人気だったっていうんだけど、それってどうなんだ?(h)
【イチオシの曲】Baby's On Fire
2013年1月20日日曜日
ロキシー・ミュージック / Roxy Music
Roxy Music(1972年リリース)
①Re-Make/Re-Model ②Ladytron ③If There Is Something ④Virginia Plain ⑤2HB ⑥The Bob (Medley) ⑦Chance Meeting ⑧Would You Believe? ⑨Sea Breezes ⑩Bitters End
学生の頃、当時の友人Aが別の友人Bにこのような質問をしていた。「ロキシー・ミュージックってどんな音楽なの?」と。友人Bはロキシーの音楽性について説明してあげたようだが、友人Aはどうも釈然としない。そりゃそうだ、Bはロキシー・ミュージックがどういう音楽をやっているのかを説明したのだが、質問をしたAは「ロキシー・ミュージック」というジャンルがあるのだと思って聞いたそうだ。「カントリー・ミュージック」とか「ポップ・ミュージック」と同じような意味で。当時はそれを聞いて笑ってしまったが、名前だけ聞いたら数ある音楽ジャンルの1つと間違えてもおかしくはない。実際、ロキシー・ミュージックってどういう音楽をやっているのかと問われると答えに悩む。後期の『アヴァロン』なら英国産のAORまがいな音楽と言ってしまえばなんとなく説明がつくが、初期の彼らの音楽性については何て答えたらいいのだろうか?デビュー当初はメンバーの派手ないでたちやデヴィッド・ボウイのジギー・スターダスト・ツアーの前座なども行っていたことからグラム・ロックの一派で括られるが、それはどちらかというとファッション的な部分の説明だ。
ロキシー・ミュージックはブライアン・フェリーがバンドメンバーを集めたところから始まる。この期間中に彼はキング・クリムゾンのヴォーカル・オーディションを受けて落ちたという経緯がある(同じオーディションにエルトン・ジョンもいた)。バンドは何度かメンバーの入れ替えがあり、デビュー時のメンバーはフェリー(ヴォーカル)、アンディ・マッケイ(サックス)、フィル・マンザネラ(ギター)、ポール・トンプソン(ドラム)、そしてブライアン・イーノ(シンセサイザー)で、ベーシストは固定メンバーではなかった。このラインナップになる前、マッケイは当初はシンセ奏者として加入したが、イーノが後から来たことで木管楽器に移ったし、マンザネラはイーノの助手としてサウンドミキサーとしてやってきたのに、ギタリストが脱退したことでギターを担当するようになる。どのパートも最初から専任というわけではなく、このため初期の彼らはノン・ミュージシャンの集まりなどと言われる。そしてデビュー前のミュージシャンによくあるライヴハウスのドサ回りのようなこともせず、数度のライヴでフェリーをオーディションで落としたEGレコードに見初められて契約を結んだ。
このデビュー・アルバムではそのノン・ミュージシャンぶりが発揮されていると言ったら言い過ぎかもしれないが、①を聴くとついそう思ってしまう。ノリとしてはロックンロールなのだが、フェリーのヴォーカルの後ろではマッケイのサックスが一定間隔で同じ音を鳴らし、マンザネラは好き勝手にフレーズを弾いているようで、イーノはさらにノイズを鳴らす。タイトルが示すようにそれまでのロック・ミュージックを解体して再構築したような感じではあるが、最後は無理やり収拾をつけて終わらせているような感じが良い。③はアルバム中のお気に入りの1曲であるが前半と歌部分から後半のインスト部分への流れが強引に感じるところがあるし、⑥の断片的な曲のつぎはぎな感じなど、全体的に良い意味での素人臭さのようなものがあるが、同時にフェリー(だと思うが)の美学が貫かれていると思う。また、ジャケットも当時は話題となったようで、通常バンドのデビュー・アルバムというのはメンバーのポートレイトかロゴとか訳のわからないデザインが多いが、見ての通りモデル(女優のカリ・アン)を起用し、その後のアルバムでも女性(たまに元男性である女性)がそのアルバム・ジャケットを彩っている。そして曲名のつけ方も⑤は鉛筆の濃さのようだが、邦題が「ハンフリー・ボガードに捧ぐ」とあるので、ああなるほどとなるし、⑥に至っては「ボブ家」についてかと思いきや"The Battle Of Britain"の略だそうだ。とういか、ボブ家ってなんだよw
そういえば②⑤⑩は1998年の映画『ベルベット・ゴールドマイン』で劇中の架空のバンドがカバーしていて、俺はそっちを先に聴いていた。後になってロキシーのこのアルバムを聴いて思ったが、やはり所詮カバー、ロキシーの持つ妖しさや美学のようなものまでは再現できていなかったな。
ロキシーは2枚目のアルバムのA面をクリス・トーマスにプロデュースさせることでポップな面を徐々に取り入れていく。そして「ノン・ミュージシャンは2人も要らない」とフェリーが言ったとかでイーノが脱退してしまう。フロントマンであるフェリーよりもイーノの方が人気があったと言うが、そのことに対する嫉妬と、アルバムのコンセプトを描いているフェリーにとってはイーノは不要となったのだろう。よってこのデビュー・アルバムは2人のブライアンのバランスを確認できる数少ない1枚であるということだ。(h)
【イチオシの曲】Re-Make/Re-Model
本文で記載したとおり。途中で各メンバーが順番にソロを取るのだが、「ピーター・ガンのテーマ」やビートルズの「デイ・トリッパー」などのフレーズが飛び出すのがいかにも再構築って感じですね。あとは曲を聴いて。
2013年1月13日日曜日
スティーヴ・ミラー・バンド / 未来の子供たち
Steve Miller Band / Children Of The Future(1968年リリース)
①Children Of The Future ②Pushed Me To It ③You've Got The Power ④In My First Mind ⑤The Beauty Of Time Is That It's Snowing (Psychedelic B.B.) ⑥Baby's Callin' Me Home ⑦Steppin' Stone ⑧Roll With It ⑨Junior Saw It Happen ⑩Fanny Mae ⑪Key To The Highway ⑫Sittin' In Circles
スティーヴ・ミラー・バンドというと、80年代に「アブラカダブラ」という曲が全米No.1になったというのが認識の大部分を占めていて、あとは70年代の『ザ・ジョーカー』や『鷲の爪』といったアルバムが大ヒットしたというぐらいしか知らなかった。だからこのバンドが1966年に結成されて、このデビュー・アルバム『未来の子供たち』が1968年にリリースされていたということに若干の驚きがある。そんなに歴史のあるバンドだったとは。そしてもう1つ驚いたのはサンフランシスコ出身だということ。ずっとイギリスのバンドだと思っていた。
もともとはスティーヴ・ミラー・ブルース・バンドと名乗っていたようで、その名のごとくブルースをメインに演奏していたバンドだったようだ。その後モンタレー・ポップ・フェスティヴァルなどで注目を浴びるようになってコロンビアからレコード・デビューしたとのこと。それだけだったら別に俺は70年代の有名どころのアルバムを聴くぐらいで、ここまで遡って聴いてみることはしなかっただろう。なんとこのアルバムには後にAORの代名詞ともなるボズ・スキャッグスがメンバーとして参加しているのだ。バッグパッカーとして放浪していたとのことだが、どのような経緯でバンドに加わったのだろうか!?今の両者からはなかなか想像できない組み合わせである。
アルバムはアナログで言うところのA面にあたる⑤までは組曲のようになっていて全曲が繋がっている。①のイントロがサイケデリックしているが、②③はそれぞれ1分にも満たない小品でワンコーラス歌われるだけで壮大な④へと繋げられる。そして再びサイケデリックな⑤という、個人的にはかなり好きで一気に聴けてしまう。そしてボズ・スキャッグスは⑥と⑦の2曲を提供。前者は牧歌的なタイプの曲だが、⑦ではボズの甲高いヴォーカルと、スティーヴ・ミラーの激しいギターが聴き所だろう。また、⑨と⑩はドラマーのティム・デイヴィスがヴォーカルをとっている。他はカバー曲のようだ。全体的にはサイケデリックとブルースを混ぜたようなところが多いが、この時期のタートルズやフランク・ザッパの『アブソルートリー・フリー』みたいな趣きも感じられる。
プロデュースはミラーとグリン・ジョンズなのだが、グリン・ジョンズといえばこのアルバムの翌年にはビートルズの悪夢だった「ゲット・バック・セッション」から作られる予定だった『ゲット・バック』のマスターを手がけた人物。それが縁なのか、3枚目のアルバムの製作時にイギリスに渡ったスティーヴ・ミラーはビートルズのメンバーとセッションをしたり、ニッキー・ホプキンスとの録音などを行っていたようだ。そしてその後であるが、ボズ・スキャッグスはこのアルバムのみでソロへ転向。他のメンバーも流動的で1971年にはミラーが交通事故で休養を余儀なくされるというアクシデントもあってバンドとしては決して順調ではなかったようだ。このバンドが大きく化けるのはミラーが怪我から復帰してからということになる。(h)
【イチオシの曲】In My First Mind
このアルバムのA面に当たる最初の5曲は組曲のようになっているのだが、そのハイライトとも言えるのがこの曲。メロトロンを使用した壮大な曲で、ここにたどり着くために最初の3曲が短く作ってあるんじゃないかと思ってしまう。そして続く⑤はその余韻のような感じがする。
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