2012年9月16日日曜日

ザ・ストロークス / イズ・ディス・イット


The Strokes / Is This It(2001年リリース)
①Is This It ②The Modern Age ③Soma ④Barely Legal ⑤Someday ⑥Alone, Together ⑦Last Nite ⑧Hard To Explain ⑨New york City Cops ⑩Trying Your Luck ⑪Take It Or Leave It

天に二物を与えられたような人が羨ましい。野球で言うところの四番でピッチャー。俺は神に対して「何故こんな不平等な世界を作ったのか?」と問い詰めたいと常々思ってる。でも、神様なんて居ない。だが、下した腹を抱えてトイレを探し求めている時だけは、神という存在に祈ることはよくある。

時は20世紀末、俺は人生のマイルストーンを幾つか迎えては越えを繰り返しておっさんになり、身も心もすっかり丸くなってしまった。そして、音楽(産業)に対する忠誠心をすっかり失ってしまった結果、CDの購入枚数が激減した。そんな状況下で、音楽誌ロッキング・オンの紙面でストロークスを最初に知った時は、その佇まいを見て「あぁ、またハイプね、フフン」程度の印象であった。幼稚な劣等感(コンプレックス)に精神を歪まされている俺は、ニューヨークから出てきたアッパークラスでグッドルッキングガイなストロークスというバンドを斜に構えて捉えることしかできなかったのだ。その音楽を耳にするまでは。

ストロークスを語るにあたり、同じくニューヨーク出身であるヴェルヴェット・アンダーグラウンド等が引き合いに出されることを散見する。確かにサウンド自体は良い意味でも悪い意味でもレトロなロックを思い起こさせるが、しっかりとしたフックとキャッチーなフレーズがあり、それらのバンドが持っていたアート的な雰囲気よりもポップソングであることが前に出ている。またストロークスは、ガレージロック・リバイバルの中心的なバンドのひとつと言われているようだが、ガレージという言葉から連想される小汚さからは程遠い。ルックスなど音楽そのもの以外の情報過多で先入観があることは認めざるを得ないが、ストロークスにはロックンロールという言葉がしっくりくる。同様に先入観で申し訳ないが、ガレージロックという言葉ならホワイト・ストライプスの方がお似合いだ。

ストロークスのブレイクには、ブリッド・ポップが失墜しレディオヘッドのポスト・ロック的なアプローチの後、ギターを中心とした骨太なロックへの揺り戻しという時代の流れの後押しがあったのかもしれない。しかし、このアルバムに収録されている曲はどれも小細工不要でシンプルであり、ただただ素晴らしく、そのような後押しがなくてもブレイクは必至だったろう。たった36分のアルバム全体を通した流れよりも、シングルカットできる曲が目白押しであることが驚異的である。デビューE.P.のタイトルトラックである②の他、⑤、⑦、⑧がシングル・カットされているが、それ以外も佳曲ばかりだ。さらに驚いたことには、フロントマンであるジュリアン・カサブランカスがこの『イズ・ディス・イット』の作詞作曲を全て手掛けているのだ。なんだ完璧(パーフェクト)超人か。その四番でピッチャーのジュリアンのワンマン・バンドとは思わせないような雰囲気、バンド然としているところも良い。実情は知らないが。

さて、ここまで書いておいて何だが、俺はストロークスのことが素直に好きになれない、ということを白状しておこう。その理由のひとつが、自分とは正反対のスタイリッシュで洗練されていることへの劣等感(コンプレックス)であるのは言うまでもない。そして本題。イギリス(北アイルランド)のバンド、アッシュが『1977』というアルバムを出し、それが意味するところのひとつが「自分たちの生まれた年である」というのを1975年生まれの俺が知った時のなんとも言えない感覚をおわかりいただけるだろうか。甲子園ではつらつとプレーする高校野球の選手達が、いつの間にか自分より年下であることの意味を改めて噛み締めたあの時と同じだ。憧れや尊敬の対象が自分より年下であることへの抵抗感と劣等感(コンプレックス)である。結局は、おっさんになり感受性が鈍ってしまったことで物事を素直に捉えることができなくなってしまった自分が悪いだけなのだ。だから、これらバンドの創る音楽がどんなに素晴らしいものかということを頭で理解できても、心の底から好きになれない自分がいる。その結果、昔は良かったなどと90年代を懐古するおっさんに成り下がってしまった。そう、俺がおっさんになってしまったという単純な理由なのだ。

冒頭、神様の存在を否定したおっさんの俺だが、今年に入ってこんなことがあった。完璧(パーフェクト)超人のはずのジュリアンがイケてない野球帽(キャップ)を被り、肥えた身体でパフォーマンスする姿がただのおっさんにしか見えなかったのだ。その時、俺の劣等感(コンプレックス)はいくらか鳴りを潜め、神様の存在を肯定できそうな気がした。ところで、この文章中で俺は何回「おっさん」とか「劣等感(コンプレックス)」とか書けば気が済むのだろうか。(k)

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