2013年3月31日日曜日

ジョージ・ハリスン / 不思議の壁


Geroge Harrison / Wonderwall Music(1968年リリース)
①Microbes ②Red Lady Too ③Tabla And Pakavaj ④In The Park ⑤Drilling A Home ⑥Guru Vandana ⑦Greasy Legs ⑧Ski-ing ⑨Gat Kirwani ⑩Dream Scene ⑪Party Seacombe ⑫Love Scene ⑬Crying ⑭Cowboy Music ⑮Fantasy Sequins ⑯On The Bed ⑰Glass Box ⑱Wonderwall To Be Here ⑲Singing Om

ジョージ・ハリスンの発言で好きなのは、彼はビートルズの中でも「静かなるビートル(Quiet Beatle)」とメディアから言われてることに対して「でも心根は狂っているのさ。なんていったってビートルズの一員として務まったんだからね。」というもの。後期のビートルズの内情を知れば知るほどこの発言って真実味を帯びてくるんだよなぁって俺はいつも思っていて、例えばジョンやポールは音楽的にも言動的にもたびたびクレイジーさを醸し出していたけど、ジョージはそういうのを内に秘めていた感じがする。その鬱憤をジョージは、ビートルズの音楽性をひっかき回すことで打破しようとしていたような気がする。いや、ひっかき回すって言葉は正しくはないけど。

ジョージはビートルズのアルバムの中では毎回2曲程度しか収録してもらえず、それはやはりジョンとポールという稀代のメロディーメーカーがいたからなんだけど、それが『リボルバー』あたりから提供曲が少ないながらも自己主張を始めてくる。その中で真っ先に思いつくのがインド音楽の導入であり、ここは聴く人によって好き嫌いが大きく分かれることだろう。「ラヴ・ユー・トゥ」とか「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」なんかはそれぞれの収録されたアルバムの中でもかなり浮いている部類に聴こえてしまう。他にも「ジ・インナー・ライト」という曲があるが、いま思うとインドにはまっていた割には3曲ぐらいかという気がしないでもないが、そこはやはり遠慮していたのだろうか?

1968年にビートルズはアップル・レコードを設立し、その第1弾のLPとしてリリースされたのがジョージのこの『不思議の壁』で、ジェーン・バーキン主演の「ワンダーウォール」という映画のサントラという形をとっているが、ここではジョージのインド音楽の影響が存分に発揮されている。ヴォーカル曲は無し(一部インドの言葉で語られるものあり)、所々でロック風な曲もあるが、アルバムはなかなか手強いものがある。インド音楽が好きという人には難なく聴けるだろうが、「ヒア・カムズ・ザ・サン」とか「マイ・スイート・ロード」などのジョージのメロディアスな代表曲をイメージして聴くと2度と聴きたくないと思える代物なんじゃないかと思う。俺もいちどCD化されたときに買ったけど、通して聴けなかったぐらいだから。しかし、このアルバムはジョージがビートルズから解放されて自由にやっている感じがする。

ビートルズは楽曲の数でいえばジョンやポールがもちろんだけど、新しい発想を取り入れるきっかけとしてのジョージの貢献があったからこそ特に後期は面白いと思っている。クラプトンにソロを弾かせたり、悪名高き「ゲット・バック・セッション」ではビリー・プレストンを呼んで、ケンカばかりしていたバンド内の空気を中和させたり、その「ゲット・バック・セッション」が頓挫したあともフィル・スペクターの仕事を最後まで付き合って『レット・イット・ビー』を完成に導いたり、モーグ・シンセサイザーを『アビー・ロード』に取り入れたりなど、ジョージがいなかったらビートルズというバンドはもっと早く解散していたんじゃないかって思う。エゴの塊のようになっていくあの2人とは違って静かなるビートルではいたけれど、ジョージの言うようにまともな神経じゃビートルズの一員ではいられなかっただろうなと。(リンゴでさえ一度脱退したぐらいだからね)

『不思議の壁』はそれこそジョージのインド音楽と西洋音楽をうまく組み合わせようという、彼のやりたいことを具現化したものだけど、続けて出した『電子音楽の世界』というアルバムではそのモーグ・シンセサイザーを使ったA面1曲、B面1曲という電子ノイズが延々鳴っているというとんでもないアルバムを出している。実験的といえばそうなんだけど、俺にはビートルズでは満たされないはけ口のように聴こえてしまうということをオマケとして書いておく(好きなんだけどね、ノイズだから)。(h)

【イチオシの曲】Ski-Ing
エリック・クラプトンと2人でギター弾きまくってるでしょって感じの曲。本当はインド風なのをここに貼ろうかと思ったけど、この曲もバックでインド風味を感じられるので。


2013年3月24日日曜日

アヴリル・ラヴィーン / レット・ゴー


Avril Lavigne / Let Go(2002年リリース)
①Losing Grip ②Complicated ③Sk8er Boi ④I'm with You ⑤Mobile ⑥Unwanted ⑦Tomorrow ⑧Anything But Ordinary ⑨Things I'll Never Say ⑩My World ⑪Nobody's Fool ⑫Too Much to Ask ⑬Naked

現代のロックスターと言えば、誰のことを想像するだろうか。スーパースターでもギターヒーローでもなく、ロックスター。

ちょっと考えてみたけれども、適切な人が思い浮かばない。グルーピーをとっかえひっかえとか、ホテルの窓からテレビを投げ捨てるとか、薬漬けとリハビリ施設を往復するとか、27歳で死んでしまうとかをするような人を思い浮かべてみたが、どうもしっくり来ない。そもそもセックス・ドラッグ・ロックンロールなんていう感性が古い。

ロックの範疇からは外れるが、エミネム、あるいはジェイ・Zとかショーン・コムズとかはどうだろうか。あるいはレディ・ガガ。彼女はなかなかそれに近い存在ではないだろうか。あのような奇抜なルックスはほとんど宇宙人だ。でも、これらの人たちはギターをかき鳴らすわけでも、ギターを叩き壊すわけでもないわけで、スターやヒーロー(ヒロイン)というよりはセレブリティという方がしっくりくるかも。そもそもロック=エレキギターなんていう感性が古い。

もっと言えばロックスターという言葉を耳にして、ゲーム会社だったり、裏原宿系(?)のブランドのことを思い浮かべる人もいるかも知れない。憧れの存在としてのロックスターが不在しているというよりも、ロックスターという言葉を持ち出す感性が古い。時代遅れなのかもしれない。

アヴリル・ラヴィーンの歌う③('Sk8tr Boi'という綴りはテキストメッセージ文化に馴染んでいるデジタルネイティヴ世代を感じさせる)は、過去に振ってしまったスケボー少年が、気付けばスーパースターになっていたという女の子視点のストーリーが歌詞となっている。この曲は1stアルバム『レット・ゴー』からの2ndシングルで、フジテレビ系の朝の情報番組「めざましテレビ」でこのPVがちょこっと紹介されたりしたと記憶している。それにしても21世紀だというのに、パンク=スケーターとか、MTVでロックしてるとかなんか感性が古い。おいおい、ホントにこれ、十代の女の子が書いた歌詞なの?って思ったけど、制作にはプロデューサー集団ザ・マトリックスが絡んでるので正確なところはわからない。若い子が共感できる歌詞なのかホントに疑問だけれども、そのような価値観は世界各地ではまだ健在なのかもしれないし、曲がブレイクすることと歌詞の内容に相関関係はないのかもしれない。

そんなわけでザ・マトリックスというしっかりとした後見人が居るためか、そのクリーンで無駄に骨太なサウンドがとても心地良い。どこまで彼女の手によるものかはわからないが、売れ線気味の楽曲は全てクオリティが高い一方、良くも悪くも金太郎飴状態の曲を繰り返し聴くのは少々食傷気味だ。などと否定的な表現を使ってしまったがこれは褒め言葉で、彼女の恵まれたルックスを含め、この万人受けする要素がこれだけ揃っていることは本当に素晴らしいと思う。日本でももうちょっと売れてもよかったのではないだろうか。レコード会社のマーケティングに問題があったのではないかとすら考えてしまう。感性の古い俺になんて言われたくないと思うけど。

ザ・マトリックスは、コーンやリズ・フェアなどとの仕事が興味深い一方、バステッドやスカイ・スウィートナム、マクフライ、リリックスなどにも曲の提供やプロデュースをしているようで、アイドルに近いロックやポップスを専門としているようだ。今の時代(と言ってもこの作品がリリースされたのはもう10年以上前だが)、レコードをスクラッチさせる効果音とか部分的にラップを入れるとか当たり前になっているようで、今作でも聴けるこれらの装飾は個人的には余計にしか思えず好みじゃない。アヴリルにはいつか、売れ線プロデューサーの協力なしに荒削りなバンドサウンドのみで作った曲を聴かせて欲しいと期待してる。

アヴリルが同じカナダ出身のSUM41のフロントマンと結婚した時は、若くしてそう来るか!と思ったが、その次がニッケルバックのあのおっさんっていうのは驚いた。やはり彼女の感性は古いというか、ちょっとズレてるのかもしれない。(k)





2013年3月17日日曜日

デヴィッド・ボウイ / David Bowie


David Bowie(1967年リリース)
①Uncle Arthur ②Sell Me A Coat ③Rubber Band ④Love You Till Tuesday ⑤There Is A Happy Land ⑥We Are Hungry Men ⑦When I Live My Dream ⑧Little Bombardier ⑨Silly Boy Blue ⑩Come And Buy My Toys ⑪Join The Gang ⑫She's Got Medals ⑬Maid Of Bond Street ⑭Please Mr. Gravedigger

1990年にアメリカのライコディスクがデヴィッド・ボウイのアルバムの再発を始めた。俺もそれがきっかけで聴くようになったのだが、その時はてっきり『スペース・オディティ』が1stアルバムなのかと思っていた。「RCA時代のアルバム」という前置きがあったこともあるが、ほどなくして特集されたレコード・コレクターズ誌で実はその前にもう1枚あるんだよってのを知ったものの、ずっと軽視していてなかなか聴くことがなかった。そもそも『スペース・オディティ』が再出発となった1枚と言われてたことから、じゃあそれが1枚目でいいじゃんなんて思っていたものだからなおさら手を出さずいたのだ。

デヴィッド・ボウイは1960年代に本名のデイヴィー・ジョーンズの名前でグループを結成して音楽活動を始めたもののヒットに恵まれず、ソロになる際にデヴィッド・ボウイと改名し、デッカレコード傘下のレーベル「デラム」からデビューをした。最初にシングル2枚をリリースし、その後にリリースされたのがこのデビュー・アルバム『デヴィッド・ボウイ』で、シングルカットとして④もリリースされている。1967年という時期だけに、当時のブリティッシュ・ポップ色の濃い内容となっている。しかしこれがデヴィッド・ボウイの原点!と言っていいのかどうか、俺は正直迷っていた。しつこいようだが『スペース・オディティ』こそ原点と思っていたからだ。

このアルバムはほとんど話題になることが無く、デラムからも解雇されてしまうという憂き目に遭っているのだが、その一方でボウイはリンゼイ・ケンプのパントマイムに衝撃を受けて弟子入りをしたり、仏教にのめりこんだりしていくなかで徐々に自己のアイデンティティを確立し、RCAに籍を置くようになってからのフォーク色の強い初期、そしてグラム・ロック期へとなだれ込み一気に立ち位置を確立していく。やはりこの時期以降のインパクトが大きすぎて、デラム期のこのアルバムへの焦点はなかなか当たりにくいというのがある。唯一このアルバムとシンクロするのが60年代のヤードバーズやザ・フー、キンクスなどをカバーした1973年の『ピン・ナップス』ぐらいなんじゃないだろうか。しかしこのデビュー・アルバムに聴きどころがないのかと言えばそんなことはなく、時代を反映したサイケデリックな部分や演劇的な要素やストリングスを散りばめた楽曲たちはそれなりに個性があって面白い。

実はボウイは2001年ごろに、デビュー前の「埋もれた曲」をセルフカバーした"Toy"というアルバムをリリースしようとしていたが、レコード会社とすったもんだしてお蔵入りしている。その中には⑨も含まれていて、もしこのアルバムが正式にリリースされていたら彼のデビュー前後のことももっと語られていたのではないかと思うと残念である。結局は一部の愛好家がリークされたアルバムを聴いているに過ぎない(ごめん、俺も聴いているけど)。それはさておき、ボウイ自身がデビュー前の曲を蘇らせようとしていたのは事実だし、そう考えるとソロ・デビュー前からこのアルバムまでは原点というよりは原石なんじゃないかと思う。RCA時代のボウイの楽曲は発表された時点ですでに完成されていたのに対し、このアルバムの曲はアレンジのしようによってはもっと良くなるんじゃないかとかつい考えてしまう。

だけど俺はこのアルバムは「デヴィッド・ボウイ」というブランドというよりは、60年代のブリティッシュ・ポップのアルバムとして聴いているほうが断然楽しめるという結論に達しているので、RCA時代とどうこうとか、特にそんな比較はしていないというのが本音。散々そんなことを書いておいて最後に何を言ってるのかって感じだけど。(h)

【イチオシの曲】Love You Till Tuesday
邦題「愛は火曜日まで」というそのまんまのタイトル。
いかにも60年代って感じのこの映像は、後のドギツイ化粧をしたグラム・ロック時代のボウイと同じ人物とは思えない・・・。


2013年3月10日日曜日

ビョーク / デビュー


Bjork / Debut(1993年リリース)
①Human Behaviour ②Crying ③Venus As A Boy ④There's More To Life Than This ⑤Like Someone In Love ⑥Big Time Sensuality ⑦One Day ⑧Aeroplane ⑨Come To Me ⑩Violently Happy ⑪The Anchor Song

今年も7月に開催予定のフジロックフェスティバル'13に、ビョークがヘッドライナーとして登場することが発表された。遡ること15年前、ノストラダムスの大予言が差し迫った1998年、前年の天神山での失敗から会場を都内に移して開催されたフジロックフェスティバル'98。東京都の埋め立て地に建てられたステージにビョークが居た。もうひとつのステージにはイギー・ポップ。いつ見られなくなるかも分からないイギーのステージよりも、ビョークを選択した。未だイギーを肉眼で拝むチャンスに恵まれてはいないが、後悔はしていない。あれから15年経った現在も、ビョークもイギーもお元気そうで何よりです。

ビョークというアーティストに関する一番古い記憶は、音楽誌クロスビートに掲載されたリリー・フランキーのイラストだった。そこに添えられたコメントでフォトショップという言葉を知った。このイラストはビョークの1stアルバム『デビュー』のジャケットが、所謂パケ写詐欺ではないかというネタだった。

2ndアルバム『ポスト』に続いてリリースされたリミックスアルバム『テレグラム』では、荒木経惟の手による自然体で美しい姿をジャケットに飾った。3rdアルバム『ホモジェニック』のジャケットにおいては彼女の姿は完全にCGで描かれ、もうフォトショップによる編集レヴェルでは済まない領域に達していた。3rdアルバム収録の「オール・イズ・フル・オブ・ラヴ」のPVで、クリス・カミンガムの手によりロボットと化した2体のビョークが体を重ねる姿を見て、この人はビョークというキャラクター、記号なんだなということを強く印象付けられた。フォトショップで加工されていようがCGになろうがビョークはビョークという存在なのだと思うようになり、前述の疑惑など鼻クソみたいに小さい問題だと認識した。

このように視覚的に大変個性的なビョークだが、聴覚的にも彼女の歌う声、彼女が作る旋律は唯一無二。この1stアルバム『デビュー』ではプロデューサーにネリー・フーパーを迎え、ハウスなのかヒップホップなのかジャズなのかはわからないけど、この当時の最先端のサウンドにより構築されている。バックにどんなサウンドが使われていようと、そこに彼女の声とメロディが乗ると全ては彼女の世界に取り込まれ、ビョークというジャンルの音楽になる。リズミカルでダンサブルなサウンドと、誰にも真似できそうにないビョークの歌唱法との対比が興味深い。これだけ独創的なビョークのビョークたる感性と、ポピュラーミュージックとしてのキャッチーさ、普遍性が同居する違和感、不可思議さがたまらない。

この『デビュー』は、文字通りビョークがソロデビューしたアルバムという認識で良いと思うが、彼女がボーカルを取っていたバンド「ザ・シュガーキューブス」での活動以前にもアルバムを一枚リリースしている。そして現在に至るまで40年近くもの間、クリエイティブな活動を持続し続け、世界を相手に新しい音楽を発表し続け、そして成功を収め続けているのだ。前述の荒木経惟、クリス・カミンガムやネリー・フーパー、①のPVを手掛けたミシェル・ゴンドリーなど、コラボレートする相手を見極める彼女の慧眼も凄まじい。2000年にはミュージカル映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に主演し、音楽も担当。2004年発表の5thアルバム『メダラ』では、そのサウンドの全てを人の声で構築するなど新しい音楽に挑戦し続けるビョーク。過去の作品の二番煎じのようなことは決してしないが、ただ彼女の歌声があるだけでビョークの曲になってしまうのは本当に不思議だ。オンリーワンでナンバーワン。世界に一つだけの花なんてクソ喰らえ。

因みに、ビョークのパンモロ写真が表紙を飾った月刊誌Cutは今でも大切にしてる。(k)





2013年3月3日日曜日

ディーヴォ / 頽廃的美学論


Devo / Q:Are We Not Men? A:We Are Devo!(1978年リリース)
①Uncontrollable Urge ②(I Can't Get No) Satisfaction ③Praying Hands ④Space Junk ⑤Mongoloid ⑥Joko Homo ⑦Too Much Paranoias ⑧Gut Feeling/(Slap Your Mammy) ⑨Come Back Jonee ⑩Sloppy (I Saw My Baby Gettin') ⑪Shrivel-Up

かれこれ30年ぐらいはロックやらなにやらと音楽を聴き続けてきて耳も肥えてしまったせいか、かつての名曲がいかなるアレンジでカバーされようが大して驚かなくなってしまった。だけど10代の頃に②を聴いたときは、しばらくはまさかそれがローリング・ストーンズのカバーだったとは思いもしなかった。同名異曲だろうぐらい思っていたから後にカバーと知った時のインパクトと来たら相当のものだった。それを知ってからようやくストーンズの原曲と同じに聞こえたという、俺の耳は元の曲のイメージに縛られすぎだったわけなんだけど、1978年にこの曲がリリースされた頃だってきっと衝撃度は大きかったんじゃないだろうか?

俺は長らくこのバンドのことを「テクノポップの元祖」的な存在だと思っていた。雑誌などでもそう書かれることが多かったし、確かにそういう要素もある。②がきっかけでYMOはビートルズの「デイ・トリッパー」をテクノ風カバーにアレンジしたし、間違いなく影響を受けているであろうプラスチックスや、今だと電気グルーヴ(も、間違いなく影響受けていると思う)など、テクノ系のフォロワーが多い。そんな前提で俺はこの『頽廃的美学論』を聴いたのだけど、このアルバムだけを聴くとテクノ色は薄い。むしろニューウェイヴのバンドじゃないかとすら思う。①を最初に聴いたときはパンクを聴いているのかと。

もともとこのバンドは主要メンバーのうち2人が様々な機械から発せられるノイズをもとにパフォーマンスをするというアヴァンギャルドなことをやっていたらしく、当然誰も見向きもしなかったとか。それでもっと音楽的な方向へ向かうためにロックのフォーマットを取り入れ、その際にエレクトロニクス、つまりシンセサイザーも導入したというのが最初の頃だったらしい。そんな彼らのデモテープに興味を示したのがデヴィッド・ボウイとかイギー・ポップとか、ブライアン・イーノにロバート・フリップという、つまりボウイの「ベルリン3部作」のころに集まっていた人たちというのだから、これは必然的にイーノがプロデュースすることになるでしょうみたいな流れだったのかね。そんな感じがする。でもバンドのメンバーはイーノのプロデュースしたこのアルバムの出来にはちょっぴり不満だったらしい。

でも俺はそんなことはどうでもいいんだよね。とにかくこのアルバムは好き。①や②はもちろん、⑤はモンゴロイドってなんだよって感じだし、⑥はもはやクラシックみたいなもんだし、⑨のなぜかいきなりの女性コーラスとか。そしてメンバーのルックスも。赤い段々の帽子や黄色のつなぎでメンバー全員揃えたり、最初に見たときはこいつらイロモノ?と思ったものです。いま、今でも正直そう思っているよ、メインストリームなバンドではないから、今となっては若い人たちがこのバンドを知る機会って少ないと思う。で、いまこれを書きながら思ったけど、80年代終わりの日本のインディーズ・ブームで、ナゴムレコードの有頂天なんかはディーヴォのコンセプトに近いものがあったんじゃないだろうか。こうして今振り返ると、いま40歳以上の人間には意外と影響力が大きいバンドじゃないか。あの布袋寅泰も言ってたし「群馬でディーヴォは強力でしたよ」と!(h)

【イチオシの曲】(I Can't Get No) Satisfaction
本当は彼らのオリジナル曲といきたいところだけど、曲のインパクトを考えてこれ。これを最初に聴いてストーンズの曲?と気づいた人たちは大したもんだと思うよ。